(前回の続き)
上司も部下も人間どうしだが、あえてこれを動物の場合で考えたほうが、わかりやすいかもしれない。疲労困憊し、さらに病気になった牛や馬を、休息も滋養も摂らせずに、人間が酷使しつづけたとする。これを見れば、誰もが
「動物虐待だ」
と言うはずだ。
しかるに、この店長の部下に対する一連の言動が明らかな「虐待」であると気づく人はめったにいない。なにより、貴紀さん自身がだまされていた。「店のために」「信頼してくれる店長のために」という純粋な気持ちを裏切られた本人、ご遺族の無念も加えると、憤ろしい限りである。
上司と部下の関係は、主従(下の者が絶対服従)であると勘違いしている人間が、今なお多い。特に上司の中には、部下の生殺与奪を自在にする権利があるとでも思っている輩さえいる。
店長という名を振りかざしたこの「虐待者」も、貴紀さんの不幸を前に体裁よく涙を浮かべ善人ぶるだけで、なんの責任も取ろうとしていない。この上司は、臭いセリフで若者をだまし、自分の都合どおりにこき使っていたのだ。こんな都合のいい役に立つモノ(貴紀さんは品物、道具扱いだった)が他へ転勤されると困るから、ぬかりなく本人を丸め込んたうえ、上層部にはうまいぐあいに工作までしている。
「そうそう、あともう少し、もう一歩。すごいすごい、おまえは(おれのために役立つ)素質がある。期待してやるから、一生懸命頑張って死んでくれ」
と言いつづけたに等しい。
貴紀さんは、配属当初から、重責と多忙による疲労を強いられていた。この店長は、励ますふりをして実は死の谷へ突き転がす準備を進めていたのだ。そんなつもりは決してなかった、結果としてそうなっただけだと、言うには違いない。なるほど、そうして起こるべくして不幸が起きたとき、こうした輩は決まって、こうも言うのだ。
「まさか本当に死ぬとは思わなかった」
現段階では、この店長の名前すら公表されていないが、どう考えてもキナ臭い人物である。この人物こそ法の下で具体的制裁を受けるべきだが、おそらくなんの咎めもないだろう。
以上を読んで、
「そんなのはおまえの僻目、妄想だろう。そんなひどい人間がいるはずがないじゃないか」
などと善人ぶる人々がいるに違いない。実際、このブログで採りあげた他の事件についても、何度かそうしたことを言われている。
しかし、ここに書いてあることを
「信じられない」
「妄想だ」
と決めつけられるような人は、たまたま身近にそうした不幸を見たことがなく、自身も理不尽なめにあったことがないという、まことに幸運な立場にいるだけなのだ。
《了》