履修項目が減り、授業時間も減り、登校日が減り、校外行事も減った。中学校の授業内で行なわれていた必修クラブは廃止(部活動だけは残った)、さらにどさくさに紛れて、道徳教育もいつのまにか消えてしまった。

 教育方針、理念も「勉強しなさい」「勉強させなさい」から「勉強してはいけません」「勉強させてはいけません」になった。

 これだけ減る一方、ゆるむ一方ならば、教育現場はさぞ「ゆとり」満点で、余裕溢れる教育者のもと、おっとりした良い子が育つだろうというのが、世のおエライさん達による見込みだった。


 ところが実際には、児童、生徒らの情緒不安定、人格の歪み、犯罪(傷害、殺人含む)が日常茶飯事となった。学級崩壊などはもはや当然と言われるまでになり、先生達は何かにつけ、

「忙しい」「暇がない」「余裕がない」

を口にする。さらになぜか教師の犯罪(特に性犯罪)が急増した。当然ながら、教師の権威も信頼も地に落ち、「教育者」という言葉は死語となり果てた。それだけならまだしも、

「教師=非常識・変質者」

などというえげつない公式まで出来上がった。


 子どもの学力低下や怠慢は、「ゆとり教育」なるものが計画されていた頃すでに、多くの人々(各界の識者、父母など)によって懸念されていた。したがって、今回ご大層に出てきた「大幅な教育改正」とやらに対する世間一般の反応も、冷めたものだ。何を今さら慌てているのだというものだろう。

 実際、この結果に対し「新鮮な」驚きを持っているのは、「ゆとり」と「怠慢」の区別もつかず、学習レベルを下げさえすれば物事すべて良くなると思いこんでいた、脳天気なおエライさん達ぐらいなものであろう。


 2007年8月30日、中央教育審議会は、小学校教育における国語・算数・体育の授業時間数を増やす方針を示した。新しい学習指導要領は、概ね次のように決まった。

1. 週5日制は維持するが、夏休みの短縮や、土曜日・放課後の補習授業などを行う。

2.「総合的な学習の時間」は週3回から1回に削減する。

3. 高学年では史上初めて英語の授業を週に1回導入する。

 30年ほど前、いわゆる「つめこみ教育」の全盛期であった頃も、その弊害が取り沙汰されていた。実行するまでに長くかかりはしたが、文部省(現在の文部科学省)は、「ゆとり教育」を目指し、授業時間数削減を推進してきた。そうしてようやく実現された「ゆとり教育」がわずか数年で崩壊し、かつて捨てた方向を追っている。


 そもそも往年の「つめこみ教育」がなぜ否定されたのか、そして長年の目標だった「ゆとり教育」もまた改正を余儀なくされたのか、それらをしかと検証しなければならない。

「新しい方法に切り替えて失敗した。そんなら、昔の方法に戻しゃあいいんだろ」

などという安直な姿勢では、また年月が経てば同じことを繰り返すに違いない。


 この「ゆとり教育」開始当初、

「勉強してはいけません。勉強なんかするから、子どもらしさがなくなるのです。子どもは遊んでさえいればいいのです。好きなことを楽しくやっていればいいのです。嫌なことは無理にしないでもいいのです。それが子どもらしさというものなのです。自分の都合だけに合わせて生きていればいいのです。それが個性の尊重なのです」

なぞという寝ぼけた演説を、高名な(と本人は思っているらしい)教育者が叫んでいた。


 この数年間、小学校中学校の教育を受けた子どもらは、まさしく「ゆとり教育」の感化を受けた。その結果、己の怠慢を自覚せずに努力を軽んじ、頭が悪いくせになま狡く、やたらと他人を蹴落とす要領のよさ、がめつさ、厚かましさばかりが発達した、他人の立場を慮れないバカモノどもが大量生産された。

 むろん、自分の子に人としての基本教育をまともにできなかった保護者達にも責任はある。しかし、教育界の短慮浅慮が招いた泥沼の深さは、計り知れない。


「ゆとり教育」という実験は失敗だったと、ようやく気づいたおエライさん方が、今後どういう改革を進めるのか、油断なく見張っている必要がある。

今回失態劇を見せた「ゆとり教育」が出たときも、振りまわされず冷静な洞察をもって子どもの教育にあたった人々は、被害を最小限度に止めることができたようだ。まして事は、単に「我が子」「我が児童・生徒」の問題だけではない。日本の未来が関わっているのだ。




ゆとり教育見直しの大幅な教育改正。現場の声は?
 8月30日、中央教育審議会は、小学校教育における国語・算数・体育の授業時間数を増やす方針を決定した。.......... ≪続きを読む≫