当節、さまざまな意味合いで教職の評判は悪い。多忙だ、重労働だ、ストレスの宝庫だ、そのわりに薄給だ、などという職業の性質についてだけではない。常識がない、無責任だ、社会性がない、身勝手だ、公徳心がない、などなど、教員の人格そのものについてさえ、否定的な見方がなされている。実際、そのような教員が多いのだからしかたがない。


 ここまで評判を落とした教職というものに希望を求め、あまつさえその職に就くことを望む人が今なお減らないということが、不思議である。どうやら外側からはラクそうに見える職業らしい。公務員、土日祝日は休み、子どもら相手に威張ってりゃいい、夕方には仕事が終わる、さっさと帰っていい、などなど、特に生徒から見れば「お気楽」に映るのかもしれない。

 現役の教員の中にも、学生時代にそうした勘違いで、教職を目指した人がいるに違いない。

「楽したいから、先生にデモなろーかな。先生にシカなれないし」

といった、生徒や保護者の不評を買いそうな志望理由もあるだろう。


 もっとも、勘違いだろうがデモシカだろうが、実際に就いてみれば天職になるかもしれない。妙な理想や幻想を掲げて挫折する人より、冷めたデモシカ先生のほうが堅実に仕事をこなしているというのも、実際よくあることだ。

 一頃などは、わざわざ生徒の前で、

「自分は教職を聖職だなんて思っていない!」

と宣言する教師がやたらと目についた。まさしく、あれは、「理想主義」「世間知らず」などと言われまいとする予防線であろう。


 教育のあり方が一様でなくなり、なにより生徒や保護者の質が多様化してきた。にもかかわらず、公務員教師が持っているマニュアルは、まるで融通の利かない代物だ。教師だというだけで無条件に服従する生徒や保護者は、昔はともかく今はいない。生き物相手の仕事なのだから、柔軟性やとっさの判断力を備えていなければならない。体力知力はもちろん、神経、精神の強靭さにも自信があり、多少のストレスなど簡単に跳ね飛ばせるほどの能天気でなければ勤まらない仕事である。


 理想と現実の惨たらしいくい違いについてゆけず、すぐ辞めてしまう人も少なくない。中には、人気タレントが青春ドラマなどで演ずる理想的な先生像に憧れて、教職に就いた人もいるらしい。自分の同級生にもそういうのがいた。

 確たる希望と意思を抱いて教職についたつもりでも、志望理由が単なる思い込み(ドラマを見て教師が素晴しく見えた、子どもや人間が好きだと思った、など)から出たのでは、本物や現実を見て幻滅するのは無理もない。幻滅してもなおそれに順応し、特に苦痛でもなく続けていられる強靭な心身の持ち主こそ、最も教師に向いているのかもしれない。