(前回の続き)

 まず、4の「身障者の通勤片道二時間は、負担ではない」は、まともな脳と神経を持っていたら、絶対に出てこない発言である。小出堯氏の通勤手段が公共の乗り物であったなら、確実に障害者虐待になる。自家用車を使っていたにしても、片道2時間もの運転は長すぎる。健常者にとっても、大いに負担な時間と距離である。

 出勤時刻は朝であろうが、いったい何時に起きればいいのだ。また、いったい何時に帰宅し、何時に寝ていたのだ。睡眠時間は充分だったのか。食事や入浴、くつろぎの時間はあったのか。健康的な生活を送れたのか。

 会社側は言うまでもなく、裁判長は障害者の立場というものをどう心得ているつもりなのか。あまりにも無知、いや薄情に過ぎる。少しでも他者を思いやる心があるならば、3のような発言はありえないはずだ。

 次に5の「会社へ鬱病の申告をしなかった。会社は鬱病であることを知らなかったため、安全配慮義務違反ではない」だが、これで納得する輩がいたら、どんなバカ野郎か見てみたい。まして、この裁判長は、鬱病についてまったくの無知としか思えない。現代の労働者に増えている精神疾患に関し、ここまで勉強不足な者が、よく法の番人に収まっているものだ。

 鬱病の人は、自分が罹患したことをやたらと他人に言いたくないものである。中には臆せず言う人もいるが、全体としてはわずかだ。多くの患者は必死で隠そうとする。精神論(「病は気から」「忍耐は美徳」など)で育った年配の人ほど、その傾向がある。

 また、下手に弱みを見せては、それにつけこまれる恐れがある。まともな会社においても、それぐらいの懸念はあるのに、まして相手は労働者を平然と陥れるような外道会社だ。小出堯氏が会社に鬱病申告しなかったのは、道理である。

 あるいは、今回とは違うが、自分が鬱病であることに気づきもせず、刻々と追い詰められ、なんの対処もできず救いもなく、不幸な結果に突入する人もいる。鬱病自殺のうち、多くの場合がそうだという。


 いずれにしろ、鬱病だと知らなかったから会社に落ち度はない、とは無責任な言い逃れである。これでは、たとえ知っていても「知らんかった」と言えばすむことになる。人をさんざん虐待しておいて、

「病気とは知らんかった」

「死ぬとは思わんかった」

で済ませるのだ。近頃流行るクソガキ犯罪者がよく使う手である。法の番人が、それを認めるというのだから、呆れるばかりだ。

 そもそもこの言い分は、

「鬱病だと思わなかったから、さまざまな暴虐を加えた」

という理屈に通ずる。相手が鬱病患者でなければ、否、思わなければ(知らんふりさえしていれば)何をしてもいいというわけだ。

 これが、この会社及び裁判長の本音というところだろう。逆境にいる者の立場を無視した判決である。



                (続く)