http://www.geocities.jp/whitecollarexemption/


「年収400万円以上の労働者を、労働基準法の労働時間規制(8時間労働の原則、休憩、休日、深夜業)の対象から外す」

というのが、ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)の趣旨である。

 これを躍起になって推進する日本経団連は、制度導入理由として、

「仕事と生活の調和を図るため、多様な勤務形態の中から、効率的で自らが納得できる働き方を選択し、心身ともに充実した状態で能力を十分に発揮することを望んでいる者も少なくない」

という理屈をこねた上、

「このような効率的な働き方は、結果的には総労働時間の短縮に繋がる」

なぞと勝手に結論づけている。世に過労死が増えることにより、トクする輩がいるらしい。


 この制度が通れば、無給残業が合法となる。つまり、過労死者が出ても、会社はいっさい責任を負う必要がなくなる。被害者側の泣き寝入り推進法に等しい。また、制度対象者の健康管理について、会社側がとるべき具体的な規則は、何ら定められていない。
 しかも、「解雇の金銭的解決制度」(
金さえ払えば不当解雇も合法)のおかげで、残業拒否した社員は理由に拘らず、わずかな金銭を支払うだけで解雇処分できる。

 日本経団連など、この制度をゴリ押しする連中は、海外先進国での普及例、成功例を持ち出し、「だから我が国も」と真似こきサルになりたがる。このサルどもは、海外事情と日本の事情(経済事情や国民性なども含め)を充分に対比し熟慮しているのか、はたはだ疑わしい。

 以下のページにある「Q&A」では、日本と海外先進国との比較など、一般によくある質問に対する回答が、わかりやすくまとめられている。

「知っていますか? ホワイトカラーエグゼンプション」

http://www.geocities.jp/whitecollarexemption/


 上記サイトの一部を、以下に抜粋する。


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Q:海外ではうまく機能してるんでしょ?

A:フランスでは、同時に制度対象者の労働時間や日数を制限する法律があります。また、イギリスでも、制度適用者であっても、法定労働時間に対する規制は適用されます。経団連がモデルとするアメリカ方式でさえ、年収要件のほかに、部下が存在すること、高度な専門職であること、自由裁量権限が大きいことなどの要件が存在します。しかし、日本版では年収400万円以上であれば労使の合意により適用できます。また、年収700万円以上であれば無条件で適用対象にできます。

Q:労使の合意が必要なら、合意しなければ問題ないんじゃないの?自由裁量ってことは、好きな時間に働いたり休んだりできるんでしょ?

A:同時に「解雇の金銭的解決」も盛り込まれているため、導入に反対した社員や、残業を行わない社員に対して、金銭を支払って解雇することも可能になります。また、欠勤に対しては、減俸対象となる、という文言もあるため、制度対象者は有給休暇すら取り上げられる可能性もあります。

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 上記抜粋記事で明らかなとおり、WEは実は、労働者のために制定されるのではない。日本経団連などがどんなに美辞麗句を並べても、そんなお為ごかしは通用しない。

 そもそもexemption(エグゼンプション)は、「(義務などの)免除」という意味を持つ。つまり、残業代の支払いを「免除」する、経営者側のための制度というわけである。カタカナを使ってごまかすところからして、いかにも外国語コンプレックスたる日本人らしい小細工である。騙されてはいけない。



 この不埒な制度が合法化されて喜ぶのは、労働者をタダ働きさせたい悪徳企業に他ならない。これが通れば、現行の労働基準法は無効となり、どれだけ働かせても合法となるのだ。

 たとえば、労働量に合わないほどの少人数でも、そのわずかな労働者を容赦なく酷使すれば、人件費を大幅に抑えられる。なるほど、利益至上信仰に基づき「労働者の立場を蹴飛ばそう精神」を遵守する腹黒い経営者には福音たる制度ではないか。

 一方、労働者は解雇や不遇を恐れて、無給残業を重ねるはめになること必定である。加えて、日本の会社員は勤勉だから、裁量労働制にしたところで怠けるわけがない。それどころかますます自立的に働くであろうことさえ、計算に入れている。



 かくして自身に鞭打つ労働者が過労に陥り、心身を害したところで、会社は少しも困らない。労働者を雑巾のように酷使し、使い物にならなくなったらアブク銭払って解雇処分にすればいいと思っている。雑巾の替えなど、いくらでもあるのだ。

 こんな非道が、合法になるというのが、ホワイトカラー・エグゼンプションなのである