
日本で治療中のレッカナーちゃんは、
2度の化学療法を終え、食欲がなかったり髪が少し抜けるなどの副作用はあるものの、
少しづつ体調は改善してきているとのことです。
来週の金曜日に手術予定です
今回はレッカナーちゃんと一緒に日本に行っている2名のカンボジア人看護師を紹介します。
ピエン(26)
プレイベン州の農家出身。8人兄弟の1番目。
小さい頃に父親を薬の副作用で亡くし、父親を助けられなかったことを悔やみ、医療者になった。
地元の中高一貫の学校(詳細は以下)を卒業し、ジャパンハートの奨学生(詳細は以下)として大学に通った。
卒業後はカンボジアAAMC(ジャパンハート医療センター)で2年間お礼奉公し、今は3年目のスタッフとして手術室の看護師として働いている。奨学生から出た第一号の医療者である。
顔から優しさが滲み出ているほど優しいが、やるときにはやる男気も兼ねそろえている。
そのピエンと交代するため先日日本に到着したのはスレイトーイ(24)
カンボジア語の意味は小さい女の子。
名前の通り、小さい女の子だが、肝っ玉は大きい。学生の中ではおせっかいな関西風おばさん的な存在で親しまられている。
プレイベン州農家出身。4人兄弟の3番目。
彼女は地元の医療に貢献したくて医療者になった。ピエン同様の中高を卒業し、今年看護師となった。
今回、彼らは患者の付き添いとしてたまたま日本行きのチャンスを掴んだが、(もちろん初めて)
日本に滞在中さまざまなことを体験するだろう。
日本に初めて行ったカンボジア人がまず驚くのは、ゴミが落ちてない町、電車の時間の正確さ、高速道路や地下鉄、橋などのインフラ関係だという。(おまけは日本人の歩く速さ・・・)
ちなみに私の義母は、東京ディズニーランドでアトラクション乗車時にサンダルを落とし、下車時に車イスで出迎えられ、出口で待機していた従業員に足のサイズを聞かれたが知らないので足を測られ、数分後渡された真っ白なスニーカーをそれ以降履かずに大切に保管している。
今回の滞在で彼らは一体何を感じ、思い、吸収してくるだろうか。
これらの経験を通し、今後もっともっと成長してくれることを切に願う。
彼らがカンボジアの未来の医療を担う。
ジャパンハートからの大切なメッセージを受け取ってほしいと思う。

ピエン(右)、スレイトーイ(左)
☆夢の架け橋プロジェクト(奨学金生サポート事業)
http://www.japanheart.org/cambodia/activity/yumenokakehashi/
☆カンボジアプレイベン州 カンボジア日本友好学園
1999年に設立されたこの学校の創設者は、2014年日本政府より旭日章を受賞したコンボーン氏だ。
氏は1979年に日本共同通信社の現地アシスタントとして勤務。ポルポト政権中、クメール・ルージュに拘束され、キリング・フィールド(処刑所)まで連行されるも奇跡的に生還し、
難民として17年間日本で生活。自己資金と協力者からの支援金で地方に学校を創設した。
現在は全国から進学希望者が集い入学を競う。全校生徒数1600人のマンモス校。
著書『殺戮荒野からの生還』リベルタ出版 http://amzn.to/1osnRRM
ナース
彩未