まだHDDに残っているうちの一つ「バッテリー」見終わった======


・バッテリー ○ 苦行アニメ。。。。話の内容よりも「完走」した達成感で○(笑)


原作小説版、実写映像版(映画)の後のアニメ化。

かなり行間を読ませ、読んだ人によって感じ方は違うし、作者自体もあれこれ自分の意見の押し売りでなく読み手に任せている感じなので小説版は人気だったのかな。

映画の方はまさに青春友情ものに昇華しての人気だったっぽい。

以上はあちこちのサイトの感想などを読み漁った印象です。


なので、アニメ版だけしか見ていない私の解釈を少々・・・


【超簡単あらすじ】

父の転勤で一家上げて母方の祖父の家のある岡山の田舎に越してきたこの春から中学生になる原田巧。彼は野球の投手としてリトルリーグ時代から頭角を現していた。引っ越し当日に近所で同学年の永倉業と出会う。彼は巧の投げた球を見事に捕球することが出来たことから二人はバッテリーを組むことを誓う。入学した中学で野球部に入部する二人だが巧の自分の野球をするためだけを貫く態度に指導者の監督や先輩部員と軋轢を生む。しかしそれでも自分を曲げず類まれなる投球を見せつけることによって、それさえも受け入れられない者は去り、それに魅せられたものは巧の態度を受け入れて行った。

そこに至るまでの巧と先輩部員の軋轢から問題を起こした野球部は部活停止に追い込まれてしまい、三年生は最後の試合に参戦すること叶わなかった。そのかわりに地域の強豪校横手二中と試合する算段を付けるために巧と横手二中の強敵スラッガー門脇と勝負させ、試合を組むに至るが学校同志の正式な試合ではないため駆け付けた横手二中の監督によって没収試合となってしまう。

そして、三年生卒業の頃再試合とすることになり・・・・


とお話は試合が始まって門脇からの快音で終わり。

え?この続きはと思っていたのですが原作でもここで終了。

「バッテリー」というキャッチ-なタイトルが勘違いさせてしまうのでしょうが内容は野球物語では全くなく、その要素があれば他の部活動でも構わないような内容と判断

しまいにはバッテリーの巧と業ではなく、相手チームの三年生門脇と瑞垣がお話を進めていきます(そして小説バッテリーの続編ラストイニングでは完全に主人公は瑞垣になる)

作者の言いたいところが「バッテリーの話」ではないので途中から巧&業のキャラが動かなくなり、その脇の脇にいた門脇と瑞垣が動き出したので引き継いだという感じかな?


言葉でこのお話の言いたいことを説明するのは難しいのですが簡単に言うと思春期の初期のモヤモヤから大人になるに向けての周りとの関係を成立させていく力を付けて行こうかという葛藤の成長物語だと思う。しかし、残念なことに主人公の一人巧だけが成長の片りんを大きく感じさせないところで終了。どうしても哀しい未来しか見えてこないのです。


以後取り上げるエピソードはアニメ版だけの演出かもしれませんが、アニメしか見て無いのでお許しを頂いての感想です


・巧は真の「天才」ではない。

祖父が野球に対して素直に目を輝かせる業や弟の青波にはその未来を楽しみにしているが、巧に関してはそう思ってない。

かつての教え子で現巧の所属する中学野球部の監督戸村が訪ねてきたときに巧に対して「あそこまでかもしれん。巧の球を見てもぞくりともしない」と。

祖父は幾度も地元高校を甲子園に導いた知将。巧程度の子供は何人も見てきてその成長を見送ってきたであろう。大成した子供にあって巧には無いものが。

(この時戸村は巧の投げる球に惚れ込み今まで自分に付いてきた生徒を切り捨ててしまう形になっている。まだ指導者としては若い彼はその後この判断を間違えと後悔と教訓としていくんだろうな)

プロは子供時代の「天才」の生き残りがまた熾烈な競争をし戦い続ける世界。巧にはそこに到達する力がないのが経験上見えているんだろう。巧はフィジカルな面では天才なのかもしれないけどメンタルな面での素質と精進はこの時点では全く見られない

対比なのかその両方を兼ね備えた者として弟青波の姿が平行に描かれている(ピンチに冷静な判断行動し、観察眼の良さからの周りの人々との絶妙な調整力)

そして物語のラストを締めくくる新田二中との再試合の日サクランボウの花が散り続けている。業がサクランボウの花は桜の花より早く咲いて早く散ると説明している。

まさに巧はサクランボウの花なのか・・・・


だから巧の野球における将来が哀しい結果になりそうな予感がアニメからは感じられた。


もし、その後、業や弟青波の野球における成長物語が描かれるとしたら、巧は鬼籍の人として描かれそうだ。


↑そこまで妄想したーーーーーーーーーーーー


答え合わせにあちこち出かけたけど巧に関してここまで悲劇的に感じた方は見つからなかった。巧の「天才」ゆえの周りとの軋轢ととらえるならばそうだろう。

しかし私の解釈では巧は「十で神童十五で才子二十過ぎれば・・・・」って奴かな?ちょっとニュアンス違うけど



苦行終わりの悟りが以上です。そういう個々の解釈の導きさえも楽しませてくれる作品なのでしょう。さすが児童文学書。感想文がみんな同じにならないようなお話ですね。



って、ドМに結構楽しんだんじゃないかーーーーーーーー