こんにちは。


今回のブログは内容を練りすぎて

いつの間にか1週間経ってしまったなと

思っているわたしです真顔真顔真顔



(タイトルと投稿日が)

(一致していない件について)



看板持ち看板持ち看板持ち看板持ち看板持ち看板持ち看板持ち看板持ち看板持ち


3.11によせて


先週は、大きな地震から

13年の節目の日でした。



わたしは今、22歳なのですが

13年前というと9歳。



「国語のテストを返します」

と、帰りの会をしているとき

大きな揺れがきたのを覚えています。



震源地からは離れていたこともあり

大きな被害をうけたわけでは

なかったのですが



それでも、幼い心ながらに

町中の様子や

空気感の変化などで

地震のこわさを感じました。







それで。



話は変わって数年前の

大学3年生のとき。




とある講義で、

「地震からの復旧時

どんな行動フローをするか」

という問いへの



学生の回答を先生が

シェアした回がありました。




地震からの復旧時

どんな行動をするのか。

この問いに対して



○建物の片付け作業

○避難所の整備

○二次避難の検討

などを挙げていた学生が

多かったなかで



とある学生が

こんなことを書いていました。

(おそらく13年前に被災されたかた)




花を植える



え?

と思いました。

花?って。

どういうことなのだろう?って。



発表していたのは先生だったので

それを書いた本人に

詳しくきくことはありませんでしたが




たぶん

地震が起きたあとって



「とにかく目の前のことをやらなきゃ」

「まずは今日をなんとか

みんなで生き延びなければ」

という焦りと



「これからどうなるんだろう」

というこわさが



入り混じったような気持ちに

みんながなるだろうと思います。



(3.11のドキュメンタリーとか観てると

リアルにその気持ちが伝わってきます)





だからこそ悲しみや不安の中に

ほんの少しでもいいから

ふくふく心が満たされる感覚や



「あ、花が咲いてる」と思える

精神的な余白がほしいと

体験をつうじて

思ったのかもしれません。




彼(彼女?)が

「花を植える」と書いたのは

そんな理由なのではないかなぁと。




いやーーーーーー。

同じ年数を生きていても

地震というものへの向き合い方が

こうも違うのか、と思いました。





高校までは、防災訓練というと


今日の○時に

地震がくることになっているので

そのときには並んで校庭へ出てください


と、朝のホームルームで指示されて

みんなでダラダラと並んで話を聞く

みたいなのが普通でした。




でもそんな訓練

もし彼(彼女?)が参加したら

「ふざけるな」と

怒ると思います。




どんな気持ちでそれを書いたのか。

どんな経験からそれを書いたのか。




わたしにとって大学のその講義は

災害への向き合い方が

自分ごとになった瞬間でした。






地震って

どれだけの現代科学をもってしても

発生させないことは難しくて

わたしたちがこの場所に住んでいる

宿命、なのだと感じます。




すごくこわいし

悲しみの連続だし不安だし

みんながみんな、キャパオーバーになる




だけど、



ほんの少しでいいから

気持ちが楽になるような

30秒でも安心できるような「何か」を

生み出せるような人で在りたい



という意思を



「花を植える」という記述から

感じたのでした。





震災を経験された

すべての方へ。


1人の日本人として

あの日のことは

ぜったいに忘れません。


かならず

糧にします


3.11によせて。



これから先も

地球とわたしと大事なひとと

しあわせにわらって過ごせたら。

ではまた♪



こもれび ゆら