こんにちは。



卒論を無事に提出できたので、

自分へのごほうびに

大好きなおかゆのお店へ行こうと

たくらんでいるわたしですニヤリニヤリニヤリ



(ニヤニヤ)


キメてるキメてるキメてるキメてるキメてるキメてるキメてるキメてるキメてるキメてるキメてる



「食べすぎてしまうわたし」変えるには


食べものに罪悪感を抱いてしまうこと、

あるでしょうか。




たとえば

けっこう食べたはずなのに

なぜか満足していない。

「もっと食べたい!!!」




みたいな。



わたし自身、

そういう経験が今までに何度かあって。




食べすぎて気持ち悪くなって

思いっきり後悔したあとで

「食べすぎてしまうわたし、変えたい」

と、

毎回毎回、思ってました。




それで。

最近きづいたのですが、




ついつい食べすぎてしまうときって

「そもそも食べることとは?」という

食べることの定義、みたいなのが

わたしのなかに無かったなぁと思います。




そもそも

「食べることとは

 受け取ること」です。





どういうことかというと




「食べる」という行為は

ほかの生きものからの生命をいただいて

自分が「生かされる」こと

です。




自然からの「みめぐみ」や

作ってくれた方の想いを

身体をつうじて受け取ること。




これが、本来

食べるということだと思います。





そこまで考えると、

目の前のケーキがほんっとに、

「大切なもの」

「感謝したいもの」に思えてきます。




ケーキができるのに、

どれだけの工程がふまれているのか。

どれだけの年月がかかっているのか。




たとえば、実際に畑へいって

原材料である麦が

そだっていく過程を知ったり




作ってくれたお店の方の

想いを知ったりすると




そういう、

ケーキの裏側ところまでじわぁっと

想像できたりします。




その結果、

口に入れるその一口ずつを

めちゃくちゃ大切に味わえて

みちたりた気持ちになるので




「もっと食べたい」

「まだまだ足りない」

と、際限なく食べてしまう

みたいなことは

けっこう、減ったりします。




よく考えたら

雨とか風とか災害とかも多いこの国で

「食べものが育つ」って

かなり奇跡的なことです。




その奇跡を

感じとること、受け取ること。




食べすぎないためには、

そんな基本的なマインドが

大切だなぁと感じます。







今は、飽食の時代。

食べものにあふれている中を

私たちは生きているわけなので




自分にとって

「心地よい」と思える量を

自分で感じとる力を

もつ必要があります。




そのためにもまずは

「裏側を受け取る」こと。




わたし自身、

胸に留めておこうと思っていることです照れ




これから先も

地球とわたしと大事な人と

しあわせに笑ってすごせたら。



ではまた。


こもれびゆら