私たち人間は


文明発展のなか


科学技術でたくさんの困難を克服してきました







治せなかった病気が治るようになったり


よりたくさん、確実に野菜が実るようになったり




便利で豊かな世界を

地道に作り上げてきました

(先人の皆さん、本当にありがとう。)






だからこそ、


同時に

「正しい科学の使い方」

ますます大切になってきています。





力を使うなら

その土台となる価値観は必須です。






どうしてでしょうか。


こどもの頃を考えると分かりやすい。




すごく陰湿で性格の悪いいじめっ子が、

空手を習い始めて強くなったとします。




その強さをもしも、

弱いものいじめで使ったら?


そうしたら、


その強さは

技術ではなく「凶器」になります。



🔪🔪🔪🔪🔪🔪





ちょっと比喩が過ぎるかもしれませんが笑



こういうこと、実際にありますよね。







たとえば

核兵器使用とか。


誰かが持っていると、

他の人は簡単に手出しができなくなる。


結局のところ、自分たちも強くなるしかない。

そんな感じです。


手に入れた技術力を

・とにかく使ってみたくなるのか

・心がバグって何も感じられないのか。




真理はわかりません。



ただ、ひとついえるのは


本人にとっては

「技術の結晶」かもしれないけど




周りにとっては

その技術が凶器として機能しているはず、

ということ。




なんのための技術?





反対に


もしも優しい心を持った子が空手を習い始めて


「いじめっ子から友達を守るんだ」と


最低限使う、というならどうでしょう。




これは、

凶器ではなく

場をおさめるための

「技術」になります。






こんなふうに、


「どんな心で力を使うのか」

「なんのための技術なのか」


が違うだけで

そこから生じる結果も、周りへの影響も

何もかも変わります。






核兵器だけではありません。



ゲノム編集やクローン技術、AI…


科学技術とされるもの、

全てに通じると思います。







「奇跡のリンゴ」で有名な農家さんである

木村秋則さんが


「自然栽培というのはな、まず心が大事なんだな。

心があっての、技術なの。」


というようなことを言っていましたが 



農業だけではなく、

安全保障、医療、なんでも



心のコンパスを整えて、

科学のレベルが愛のレベルを

上回らないようにする





まさにこれが今、必要だと感じます。










これから先も

地球と私と大事な人と

幸せに笑って過ごせたら。



ではまた。