与野。
今や隣国のお家芸である大気汚染物質「光化学スモッグ」が絶え間なく降り注ぐような大通り添いに、なんとも似つかわしくない古風な家があった。
この表現が相応しくないのに気づいたのは、その家が無くなって随分経ってからの事で。
本来はそんな家ばかりがあった下町に、時代の風とともに大きな道が割り込んできたのだろう。
当時は「光化学スモッグ」の意味も「バイパス」の意味もわからなかったが、その所為であの家が無くなってしまったのだと、不満に思った事だけは鮮明に覚えている。
怪物のようなトラックがひっきりなしに行き交う長い横断歩道を渡り終え、少し錆びたモダンな鉄の柵を開けると、そこにはいつも静寂があった。
右手には数匹の鯉が泳ぐ池。
玄関の引き戸を開けると、唯一苦手だった竈馬の出そうな少し薄暗い和式便所。
廊下の脇には子供には敷居の高い、床の間のある畳の客間。
掛け軸らしきを恐る恐る横目に見ながら廊下を突き当たると、アップライトのピアノと洋風のチェアがあって、西陽に照らされたその空間だけが、なんだか物語のようだった。
そしていつも最初に入る、広いお茶の間。
信じられないくらい大きなテレビはいつも真新しく買い換えられているように見えた。
テーブルの上にはいつもちょっと高そうなお菓子。
そうしてこどもたちは暫くそこに放置される事になる。
手持ち無沙汰はすぐにやってきて、好奇心は「行っちゃいけない。」と言われている二階へと誘われる。
台所からはおばさんと母の声。楽しそうな笑い声を確認して、こっそり目を偲んで、階段をのぼる。
だいぶ年の離れたお姉さんたちの部屋は、それこそバリエーションに富んだおもちゃ箱だった。
最初の部屋はその時々に流行していたのであろう、真新しいグッズが並ぶ明るい部屋。
次の部屋は少しドキドキするような、少しオトナめいた女性の部屋。
最後の部屋は、とびきりの魔法がかけられた不思議いっぱいの大好きな部屋。
魔法や遠い国の物語、外国の小物や意味のわからない英語の切れ端。
それと父の本棚にはない、少女漫画。
母たちに見つかる前、彼女たちが帰宅する前という限られた時間は、最後の部屋に多く費やされた。
こちらは「誰もがオトナ」に感じていたとは言え、きっとまだ中・高校生の年頃の女子の部屋。
不在時に勝手に子供が忍び込むなんて事態は相当に嫌がられていたに違いない。
大変に失礼な事を無神経に繰り返していたかと思うと、やはり子供だったんだなあと恥ずかしくなる。
であるが、今の自分を作り上げたひとつの要素は、あの部屋であり、あの家だった。
きっと大幅に美化、増幅されているであろう情景ではあるが、間違いなくあの家は心象風景のひとつである。
思い出すのは家の事ばかりで、問題の住人に関しては深いエピソードが思い出せない。
彼女は親戚でありながら、幼稚園の先生であり、母の姉のような存在であり、それを口にしていいのかどうなのかもよくわからない、不思議で、そして厳格なイメージの人だった。
大人になって会ったのは数えるほどで、こわい先生じゃなくなっている事に、いつも違和感をおぼえていた。
きっとそもそも、こわい人ではなかったのだろうとは思う。
子供心に長いと感じていた廊下がそんなに長くなかったりするように。
今となってはどれも確かめようがないのだけれど。
最後に会ったのは、用もないのに母の用事について行った時だった。
居が移っても、なぜかあの家と家族は私にとって興味の巣窟で、なんとなく久しぶりに会いたかったのだ。
彼女を車からおろす手伝いをした時、幼稚園の入り口で平均棒の向こうで笑って待っていてくれた彼女を少し思い出した。
自分の身長はそんなに大きくならなかったけれど彼女は小さくなっていて、手を引く立場は逆になっていた。
よく笑い、聡明で、気丈なひとだった。
冷たいのかなんなのか、とりたてて悲しい気分にはならないのだが、よく夢に出てくるあの家には、いつも彼女がいる。
これからもきっとそうなんだろうと思う。
だから別れるという気持ちが湧かないのかもしれない。
やっぱり私にとっては、彼女の家はいつまでも国道沿いのあの家なのだろう。
マイコ。