大河ドラマ「どうする家康」第43回関ヶ原の戦い。

 

OP曲後の本編冒頭で現れたこのシーンを記憶いている諸兄は少ないと思われる。

テロップには、「京・新城」と書かれている。

 

そう、ここは京都新城。

豊臣秀吉が最晩年に普請した城郭的居館。

秀吉の死後、ねね=北政所は大坂城からこの京都新城に移り住んでいた。

 

德川家康と石田三成の対立は決定的となり、戦火は必至。

作戦参謀/阿茶局は北政所の計らいにより、風雲急を告げる京の伏見城から、

この京都新城に避難できたのでした。

 

外観のシーンはありませんでしたが、恐らくテレビや映画などの映像作品においては、

日本史上初登場となる京都新城。

 

近年における最新の歴史考証が反映されたものです。

 

BS11、「偉人・敗北からの教訓」第十三回 北政所・悲しき豊臣家臣団の分裂。

 

こちらでも京都新城が重要物件として挙げられておりました。

 

ここからは、作家・伊藤潤氏の「伊藤潤ならこうしていた」。

伊藤潤氏がもし北政所で豊臣家の存続を図るのなら、という見解。

京都新城は、京都御所に隣接している。

 

(大阪の陣が起こる前に)

京都新城に秀頼を迎え入れたかった。

 

豊臣家の公家化を図りたかった。

 

(戦乱が起きれば)

御所を焼いたら幕府が面目を失う。

 

京都新城に秀頼を迎え入れるのは良策だった。

 

京都新城の敷地は、まさに御所に隣接。

現在の仙洞御所のあたりと推定されています。

 

秀頼はいずれは関白に。

武家の頭領=征夷大将軍は徳川家となっても、豊臣家は公家として存続する。

余命短い豊臣秀吉はそのようなセカンドベストを青写真として描いていたのかもしれません。

 

 

 

 

豊臣秀吉は生きているうちに、秀頼への関白委譲を何としてもすべきだったのじゃな。

 

はい、その通りです。

秀吉は買収や脅迫やあらゆる手段を使ってでも、秀頼への関白委譲をすべきでした。

関白となればもはや天皇に次ぐ「玉」。

誰も手出しはできません。

難癖をつけて徳川家を朝敵に仕立て上げる荒業も使えます。

「玉」は、どう活かすか、どう使うかが重要なのです。

 

 

「真田丸」の頃は遺構が発掘されておらず、ドラマに京都新城は登場しなかった。

まさに日進月歩の歴史考証の賜物であるぞよ。

ほっ、ほっ、ほっ。アップカブトアップ