ワシ、この家康は腹黒狸と云われていたようじゃがの。
なぁに、真田安房守に比べればカワイイものよ。
なにせ安房守は、腹黒どころかドス黒いからのう。
表裏比興(ひょうりひきょう)の者と名付けた~は、この秀吉だがや。
油断も隙もにゃー(無い)て、アブナイやっちゃ(奴)よ~。
はい、お二方、貴重な証言をありがとうございました。
江戸と大坂から二元中継でお送りしました。
スタジオにお返しいたします。
はい、こちらスタジオです。
ゆかり地まとめ画像で、真田安房守昌幸という人物を辿ってみましょう。
上左、しだれ桜も見事な上田城。徳川軍を二度も撃退した不落の城。
上右、高野山の蓮華定院。真田昌幸、信繁親子が関ヶ原敗戦後、最初に配流されたところ。
下左、同じく蓮華定院。真田信之、信政の供養塔もあります。
下右、九度山の真田庵。昌幸、信繁、大助の菩提を弔うお寺です。
こうしてみると、巧いこと安房守殿の巡礼まとめとなっておるな。
今までの巡礼路の結実、でござる。
それも、武将印があったからこそ。
蓮華定院:御朱印「阿弥陀如来」。
九度山/真田庵:御朱印できません。
薪割リ、ツカレタヨ。
デモ、チカラ、ツヨクナッタキガスル。
ツギ、ドコニイクノカナ?