神奈川県足柄下郡箱根町湯本:
臨済宗大徳寺派、早雲寺
開祖:北条早雲。
建立:北条氏綱。(1521年)
ご本尊:釈迦三尊。
関東に広く隆盛を誇った戦国大名北条家。
(山門)
北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏家、五代の菩提寺である。
1590年、太閤・豊臣秀吉、天下統一の総決算、小田原征伐の折、接収され本陣地となったところでもある。
(中門)
数々の歴史的由緒と寺宝を所有する早雲寺。
しかし、その敷居は極めて高く、普段は固く門を閉ざす。
(境内内には入れます。庫裡や客殿の拝観はできません)
11月3日から5日までの三日間。
寺宝特別公開が行われる。
二年前。
たまたま都合がつき、箱根の山を超え、この箱根湯本の地に赴くも。
その日は箱根湯本の町全体で箱根大名行列というイベントが開催され、
この早雲寺周辺も交通規制がかかり、車の進入がまったくできずに泣く泣く断念…
今回は満を持しての再訪。
初回拝観10時の30分前に到着。
受付を済ませ、主だった写真撮影を先にこなしておいた。
それではお時間になりました。
(客殿=方丈)
境内図。
(早雲寺さま配布の案内パンフより)
拝観受付は中門正面の庫裡にて。
番号札御朱印受付&御朱印帳預けも同時に行い、帰りに受け取る。
庫裡の奥には、北条五代の肖像画や書状などが展示されておりました。
普段は図鑑や教科書でしか見ることができない「北条さんたち」です。
氏康、氏政、氏直の系統は目元、鼻筋、口元がよく似ておられます。
北条早雲像が国重要文化財に指定されています。
(下記画像は早雲寺さまHPでは公開されていません)
客殿=方丈にはご本尊さまがおり、その周囲に38面に渡り襖絵があります。
有名な龍と虎です。
江戸時代の狩野派によるものだと推定されていますが、作者名の落款が無く、県指定重要文化財になっています。
作者が特定できれば国指定重要文化財に成り得るものでしょう。
続いて、枯山水石庭。
客殿=方丈から、見るかたちです。
左サイドから。
昼過ぎになると、全体に陽がさすと思われます。
右サイドから。
後背の樹木は絶滅危惧種、ハルヒメゼミの貴重な生息地だそうです。
中央が「亀石」とのことですが、よくわかりません。
そう言われてみれば、そう見えないこともない、…かな。
拝観は住職さまが詳しく説明してくれるかたちです。
約30分ほど。
小田原征伐の折、豊臣秀吉の茶人斬り捨て事件。
脱藩大名林忠崇率いる遊撃隊のエピソード。
小田原市が誘致を推進する大河ドラマ「北条五代」のちょっとした小話。
などなど。
北条五代の墓をお参りします。
順番的には最初でした。
供養塔になります。
合掌。
小田原征伐の降伏により北条家は滅亡、のようなイメージがありますが大きな誤り。
四代当主氏政とその弟の氏照は切腹。
五代当主氏直(当時小田原城主)は高野山へ追放されその後死亡。
北条氏康の五男・氏規が北条本家筋を継承。
氏規の子・氏盛が狭山藩主となり明治維新まで続いたのです。
御朱印。
北条氏が出した文書に押印されていた虎の印「禄寿応穏」(ろくじゅおうおん)。
「虎の印がカッコイイ」とか、「見た目」だけしか見ていないのは、
その御仁の浅き器を晒しているようなもの。
見えざらば尋ね、または調べて、理解することが肝要ぞ。
うむ、よくぞ申した。アッパレじゃ。
(大御所サマ/徳川家康)
な~~んぞ、かたゃー(堅い)こと言うぞなもし。
カッコええは、カッコええ、でええがや。
(堅苦しいのはお嫌い?。太閤殿下/豊臣秀吉)
拙者が密かに観光客にまぎれていた時、見かけたのでござる。
拝観をせずに御朱印だけ貰っていこうとする不届き者を。
それは明らかに初訪問の団体観光客のひとり。
「拝観料かかるから、御朱印だけでいいよ」って。
ご本尊さまにお参りもせずに、御朱印だけ授かろうとするのは言語道断!
(偵察や監視はお手の物。忍者衆頭目/服部半蔵)
おぉ、半蔵殿。尾張国に金探索に行っているはずでは。いつの間に…
以前は飛び込みでも(運が良ければ)御朱印がいただける時もあり申した。
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最寄駅:箱根湯本駅。
数台可の早雲寺駐車場あり。
または近隣のコインパーキングへ。