京都市中京区木屋町通り/慈舟山 瑞泉寺
信長公忌&京都巡礼#13です。
本能寺を出立したあとは、阿弥陀寺に行く途中で瑞泉寺を訪問しておりました。
歩くこと5~6分。
高瀬川に柳の風情を愛でながら到着。
豊臣秀次菩提寺であります。
通常非公開。
境内の拝観は自由です。
母は秀吉の姉。
秀吉からは甥にあたります。
秀吉の養子となり、近江の地の領国経営も任され、従一位関白の座にまで登りつめます。
いずれは秀吉の後継者となるはずでした。
事態が変転するのは、秀吉に嫡子秀頼が誕生したことに拠ります。
次第に秀吉から疎まられ、やがては謀反の嫌疑をかけられ、高野山に追放。
切腹を命ぜられました。
一族は三条河原にて処刑されました。
豊臣秀次、そして一族の菩提を弔う瑞泉寺。
寺名は秀次の法名「瑞泉寺殿高巌一峰道意」からです。
悲運と呼ぶには、あまりに秀吉に翻弄されてしまったその生涯に合掌。
本堂前に「参拝記念印」がありました。
賽銭箱にご志納いたします。
五七桐紋印の中には「前関白秀次公御一族四十九宝塔」と記されています。
他所では「豊臣秀次のカッコイイ御朱印」などと恐らくは書かれるでありましょう。
KKの御朱印探訪では、「参拝記念印」と刻印いたしまする。
近江八幡市:村雲御所瑞龍寺門跡。
秀次の母、瑞龍院日秀尼がその菩提を弔うために京都村雲の地に建立。
その後、現在地に移転。
日蓮宗唯一の門跡寺院。
ご本尊:三宝尊。
堂内拝観可能です。
関白職は、天子様=天皇を補佐する最高位役職。
それまでは公家、摂関家からのみの歴職でありました。
平民出身としては秀吉と秀次のみとなります。
京都村雲からの移転先は、旧八幡山城。
秀次が築城し、城下町を整備しました。
現在は石垣が残るのみです。
秀次の菩提を弔う場所としては、由緒も深きうってつけの場所。
ちなみに続・日本の100名城、No.157、であります。
御首題。
門跡寺院の証、菊紋印があります。
登城記念印。
現状で、唯一の菊紋入りの「御城印」です。
続・名城100選のスタンプも捺されています。
高野山:金剛峰寺。
弘法大師空海が築きし、天空の真言密教聖地。
数々の歴史的由緒を持ちます。
関係性が一番深かったのは豊臣秀吉。
莫大な喜捨・寄進、イマドキ表現なら支援・援助をしました。
金剛峰寺の寺紋はふたつ。ダブル寺紋。
ひとつは守護神社でもある丹生都比売神社の「三つ巴」。
もうひとつは、豊臣家ゆかりの「五三桐」。
秀次が自刃したとされる「柳の間」。
KK、順番的には瑞泉寺~金剛峰寺~瑞泉寺~瑞龍寺~瑞泉寺と辿っております。
(と、じつは瑞泉寺は今回で三回目再訪なのです)
御朱印。
遍照金剛と御詠歌。
こうして、悲運の関白・豊臣秀次を巡る旅は完結いたしました。
テレビ番組や書物やネットでも、情報的にある程度までは掴むことはできます。
しかしながら、現地に赴き、その雰囲気、空気、景色、聞こえる音。
見て聴いて感じたものは、全てに勝ります。
一句、出そうなれどまだ思案中…