金沢21世紀美術館から、加賀能登巡礼初日金沢市における最終目的地に移動しました。
にし茶屋観光駐車場に駐車。
ここを拠点にします。
茶屋街とは芸妓さんを呼んで歌や踊りや料理を楽しむ店が軒を連ねる一画を指します。
金沢三茶屋街として、ひがし茶屋街、主計町(かずえまち)茶屋街があります。
江戸情緒を残す町並みは、金沢の人気観光スポットでもあります。
この日の最終目的地は忍者寺の異名を持つ妙立寺。
拝観の事前予約で15時となっていました。
駐車場がスムーズに確保できない場合も考え、早めに移動しました。
妙立寺拝観にはまだすこし余裕があります。
にし茶屋街をぶらぶらと散策します。
真田紐のお店ですね。
真田信繁(雪村)が紀州九度山に蟄居中に、生活の糧として作り、売ったとされる頑丈な紐です。
鮮やかな色使いで、ストラップなどのお土産としても好評のようです。
金沢城や兼六園あたりの喧騒がウソのように、静かな佇まいの時間が流れています。
連れたちは、こちらの「かわむら」さんに甘味一服休憩。
KK、この隙にひとつお寺を巡ります。
金沢市野町:大蓮寺
宇喜多秀家正室であり、前田利家四女豪姫の菩提寺であります。
クイック拝観となりましたが、豪姫と宇喜多秀家の供養塔に合掌します。
織田信長、豊臣秀吉・秀頼に仕えた播磨の有力大名、のちに豊臣政権五大老となった宇喜多秀家。
関ヶ原の戦いで敗北、お家は改易、逃亡生活の末、徳川政権に引き渡され、八丈島に流罪となります。
この表札にもあるとうり、宇喜多秀家の本廟は八丈島。
豪姫の本廟は、金沢市内、前田家一族が弔われている野田山にあります。
共に八丈島に行くことを望みながら許されなかった豪姫は、最後まで秀家を支え続けたそうです。
金沢市野町:妙立寺
日蓮さんです。
忍者寺と呼ばれていますが、忍者屋敷ではありません。
KK的に表現するなら、妙立寺は「ゲリラ戦拠点」です。
総構(そうがまえ)という金沢城の外郭防衛ラインの一翼を担っていました。
お寺は有事の際には、駐屯所、物資集積所、野戦病院などになる役割もありました。
市街戦となれば、個々のお寺がゲリラ戦拠点ともなります。
実際、この近辺はお寺がかなりの数で密集しています。
残念ながら本堂内の撮影禁止で、画像は外からのものしかありません。
半分以上は外国人観光客の感じでした。
(イエス、ガイコクジン、ニンジャ、ダイスキネ)
状況をすこし解説すると、
本堂内に10~15人の御一行様が推定8チームほど形成されました。
個々に担当の案内係さんがつきます。
各チームは時間差をつけて、それぞれ別のルートで拝観をしていきます。
落とし穴、隠し階段、隠し部屋などはどうしても忍者屋敷のイメージになりますね。
拝観料1000円。
一時間に100人近くを拝観で捌いている様子で、一日の収益は?
と、ついつい下衆なことも考えてしまいます()。
御朱印は、「本日は時間切れ」ということでいただけませんでした。
書置きも売り切れでした…
(その二日後に再訪しいただきました)
案内係の方はしきりに「忍者屋敷ではありません」、を強調しておりましたが、
公式HPでは「人、呼んで忍者寺」というコピーを全面に掲げています。
何とも腑に落ちない齟齬感を楽しみつつ、実際に目にしてたしかめてみてください。
でも、忍者のハッシュタグ、入れます(笑)。
加賀能登巡礼記、三日間の初日を終えいったんお休みします。
次回は速報で京都桜巡礼!