京都駅08:47着。

 

帰りの上り新幹線ひかり474号、15:57発。

 

実質、六時間弱の旅程だ。

 

最後に訪れたのは、数えたらもう十数年以上前になっていた。

 

駅周辺も様変わりしていた。昔日の面影はどこにもない。

 

京都タワーだけが変わらずにそこにいた。すこし安堵する。修学旅行時、タワーのふもとにスピードガンがありやってみた。120Kmを出した記憶が蘇る。

 

大きく変わったことといえば、外国人観光客がかなり多いことだった。聞こえる大半は中国語だ。観光地寺社行きのバスはすでにどれも満員状態。

 

 

最初の訪問地、霊明神社さん。

http://www.facebook.com/reimeijinja/

 

09:00に事前電話する。宮司の旦那さまはお昼頃に帰着だが、奥様が対応してくれるとのこと。

(一発目にご不在ではかなりめげる)

 

タクシーを利用する。近隣までのバスは無く、急坂が待ち受けていることはわかっていた。結局、初期計画案の逆ルートを採った。

 

 

あたりを通過する車もなく、もちろん観光客もなく、静寂な朝の空気に包まれていた。

 

由緒。

 

本殿。隣には猿田彦さまも祀られている。

 

旗指し物。

 

このあと、奥さまからたくさん興味深いお話をいただく。

 

~細い路地は昔からのもの。志士たちが実際に闊歩していた。

~ここは志士たちの拠点のひとつで、まだ若かりし品川弥次郎が中継役(=リエゾン=使い走り)でよく出入りしていた。

~志士たちが密談中、反対勢力から襲われることがしばしばあった。山あいから清水寺、または東山方面に逃れた。

~池田屋で殉死した坂本龍馬たちの御遺体は新撰組志士たちによってここに運びこまれた。

~隣の護国神社に土地その他を委譲させられてしまった(=明治政府から強制的に)

 

ちょうど大河ドラマ「新撰組!」が放送され、注目度が高まっていた頃、某大手週刊誌の記者が取材に訪れ、「真実についてもっと公開されたほうが良い」と強く進言したらしい(この時の取材は実際に記事になり掲載された)。

 

お隣(=護国神社=明治政府)との歴史的経緯の兼ね合いなどもあり、事を荒立てることはしたくなかったそうだ。

 

報道に携わる方々は「真実の追及」の御旗のもと、何でもかんでも事をあけっぴろげにしなければ気がすまないきらいがある。

 

野ざらしに公開することだけではなく、ひっそりと真実を残すという選択肢もあっていいのではないか、とも思う(隠しているわけではないので)。

 

現地でなければわからないこと、現地の空気に触れなければわからないことがたくさんある。

 

最初にここに来てよかった。

 

このあたりは昔から残っている小路。

 

ご朱印。

 

坂本龍馬をあしらった印象的なオリジナルご朱印帳。

某ご朱印系ブログでは「限定ご朱印帳」と記されていたが、増刷されたのか普通にあった。

 

非常に興味はあった。もし使うなら幕末関連となるだろう。

 

ただこのあと、ご朱印帳は何冊か調達予定。

(ここで龍馬ご朱印帳があるとは装丁していなかった)

 

ここは涙を飲んで断念する。