得ようとしなくても圧しつけられて、

目に耳にする情報が多すぎる。


・・・のだと思う



本来、

自分なりの考え、ロジックがあって

結論が導き出されるはずなのに、


自分の中を情報が通り抜けているだけなのに、

なんだかわかった気になってしまう。


単に結果を、言葉を知ってるだけなのに。

自分自身を介した答えが、結論へとつながっていくはずなのに。


情報社会の情報過多な状況に

思考も生活も、ともすると慣らされてしまう




ある本を読んだ人が話してたことを受けて、

そんなことを思った。


ある価値観を持つのにも自分のロジックがあるはずなのに、

価値観だけがそこにあって、

その実ロジックに欠けていたりする。

或いは、ねじれがあったりする。


「私はこう思います」と、価値観をばんっと提示できると、

体裁は整うし、相手も自分も安心する。


だけど、入れ物の中身についてはあまり問われないことをいいことに、

中身が全然なかったり、入っているべきものが見当違いだったりすることに

本人自身気づいてなかったりするんじゃないか。