今日、ある女の人にあった。

意志の強そうな綺麗な目と、

八重歯を見せながらきらっと笑う、笑顔が輝く人。


その人が突然語りだしたことは、

私の想像を超えていた。



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どうやら、事故にあったらしくて。

全然覚えてないんですけど、頭から大量に出血したという話で、

生きているのが不思議なくらいなんです。


今こうして毎日生きているけれど、

言われたことを次々に忘れて、わけがわからなくなってしまう。

事故の加害者の人が、今は生活の面倒をみてくれています。


その人の家で、炊事・洗濯・おばあちゃんの介護をしているけれど、

計算や言葉を忘れていかないように、その合間合間にドリルをやってるんです。

でも、昨日やったはずのことが分からなくなったり、

どんどん忘れていって、自分が馬鹿になっていくのが怖い。


何かをするにも、こうして一つ一つ書いてもらわないとわからなくなるんです。


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そう言って、私の前にメモ置いた。

そこには、

何時にどこに行って、どう話すか、ってことが事細かに書いてあった。

バスは何時に出るので、ここから乗ってこの停留所で下りること。

家まで帰るルート。

今日一日のスケジュール。



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私、本当は仕事がしたいんです。

ちゃんと生活できるようにならないと、ダメになってしまう。


だけど、ダスキンのアルバイトですら、

次に何をやるってことをいちいち書いてもらわないとできないんじゃ、

雇ってももらえない。


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ここまでの話も、すっきり話したわけではなく、

言葉を選び選び、時々混乱しながら、

話も前後しながらやっと伝わった事柄だ。


こちらが何か説明しても、

あまり理解を得られなくて、何度も質問させてしまったので、

途中からはできるだけ簡単な言葉で、

シンプルに、何度も話すようにした。



なんだかすごくショックを受けた出来事だった・・・

似たような話を聞いたことはある。

だけど、実際本人の口から語られ、

目の当たりにして初めて、現実味を帯びた。


と同時に、覚えていることは覚えているのに、

すっぽり抜けてしまう部分があること、

理解できるところとできないところがあるところ・・・

その線引きや、状況の把握ができなくて、少々混乱したのも事実だ。




高次機能障害って言葉がふっと頭をよぎった。

手帳を持っている様子はなかったので、

案内をしてみたが、どこまで伝わっただろう・・・


専門的な知識を持った友人に話したところ、

色々と話をしてくれた。

そして、

「すごい話だね・・・でも、それもね、どこまで本当かわからないんだよね」

と、ちょっと悲しい表情をした。



それにもショックを受けた。

「嘘なわけないじゃん!!なんで嘘なんて言うの?信じてあげないの?」

っていうような彼女の言葉に対するショックではない。


「そうなの?」

っていうショックだった。

『現実』から受けたショックがさめないまま、

そもそも、それは本当じゃないかもしれないっていうもう一つの『現実』に受けたショック。


友人は日々、色々な病気の人と接している。

そこで彼女が学んできたこと、感じてきたことはきっと計り知れない。

彼女は優しさと冷静さを兼ね備えていた。



今日の一連の出来事、、、

ショックをまだ整理できていないけれど、

とにかく今日の出来事として書きとめておこう。