障害者に関連する記事を書いていて、さっき思い出したのが

最近見たドキュメンタリー番組。


それは、10歳くらいの普通の女の子について。インターネットと読書が趣味の少し大人っぽい普通の子。

片腕がないことを除いては。

その子は生まれつき片腕の肘から下がありませんでした。

その両親はその子が小さい頃からわざと長袖の服を着せたり、義腕を

つけさせて普通の子供たちと同じように装っていました。

きっと、両親も公園に行って普通の子供たちを見るのが辛かったんじゃないかな…。。。と私は思う。

けれど、そういう風に障害者ということを恥て普通のように装うのも子供の心を傷つけていると私は思う。

その子はあるとき、ピアノを習いたいと言い出す。そして今では国連などの障害者のピアノ大会で

演奏したり、健常者でも難しいとされるような曲を、手と肘の柔らかい部分を使ってすごく器用に弾いていた。

私はそれにすごく感動した。


障害者の方を子供にもつ親御さんの心境は、すごく複雑だと思う。

だからすべての親が、自分の子どもは健康で生まれてきますように・・・と祈るのではないか。

それは当然だ。けれど、障害者として生まれてきた、あるいは事故などで障害を負ったなど、

例えそうでも、ありのままの自分を受け入れてもらうことが障害をもつ子供たちにとって大切なのだと私は思う。


パラリンピックで活躍する選手たちの姿は、引きこもりや悩みを抱えている障害者やその家族に

きっと希望を与えてくれると思う。

明日はパラリンピックの開幕だ。

私は今までパラリンピックに特別関心をもったことがなかった。それは、きっと私自身が

障害者の方々と直接関わった経験が少ないというのもあるだろう。


私のお気に入りの本 The First Sight By Nicholas Sparks の中で

Lexieの妊娠過程でお腹の赤ちゃんに障害があるかもしれないとドクターに言われる場面があった。

最悪の場合だと、赤ちゃんは死んでしまう、とドクターはLexieと彼女のパートナーであるJeremyに告げる。

そして、Jaremyの心境を語っている場面で、彼はもしかしたらお腹の中の赤ちゃんが死んでしまうほうが

彼らにとってましなのかもしれないと考えていた。というのも、障害をもってうまれてきた赤ちゃんは

障害を一生負って生きていけない。それは両親となる彼らにとっては精神的に厳しいのだと思う。

そして今、英語のreadingの授業でdeaf-blind、つまり耳と目の不自由な男性についての話を習っている。

そして、パラリンピックについての記事を今日新聞で読んだ。私の中にすごくひっかかるものがある。


それは、今までの私の障害者への見方のせいかもしれない。

私は、特に関心がなかった。というよりも、こういう風に立ち止まって考えることがなかったからだ。

一般的に言うと、障害者をを「かわいそう」と思う人が多いと思う。けれども、



続きは次回書きます。