2回目のアナフィラキシーショックのあと、私は本当に食べ物が怖くなっていました。
それまでは長男くんだけが別メニューで、私と夫は卵を使った料理も食べていました。
もう同じスポンジで洗うことにも抵抗を覚えました。
卵を買うのをやめました。
マヨネーズも捨てました。
大人が食べるお菓子も、卵やピーナッツが入っているものは買うのをやめました。
すべてを長男くんと同じにすると決めました。
そうすることで、長男くんが食べるメニューはとても広がりました。
それまでは除去食と言いながら、工夫をしてあげることはしていませんでした。
あげない除去食。
同じものを食べることで、自分の食べたいものを卵なしで作るようになったのです。
自己中ですよね。
まだまだ母親としての道半ばです。
それでも少し親になってきました。
夫は抵抗しました。なんせ卵かけごはんと柿ピーが大好物の男です。
私には聞く耳はありませんでした。
そんな折、主治医から、相模原に食物アレルギーを研究してる病院があるんだけど、話だけでも聞いてみる?と言われました。
今では食物アレルギー専門で有名なあの病院のことです。
相模原は同じ神奈川でもかなり遠くです。
あまり気が進みませんでした。
実は二人目を妊娠していました。
いまのおだやかな状態を壊したくありませんでした。治療とか改善なんて考えられなかったのです。
その後も転勤・転居を繰り返したので、その時が一番相模原に近かった!
その時は、その日その日でいっぱいいっぱい。
幼稚園の入園もせまっていましたし、いまのままでいい。そう思いました。
結局いまのいままで、ご縁はありません。海老澤先生の講演は何度も聞かせていただきましたが。
幼稚園は少人数の幼稚園を選びました。もちろんお弁当ですし、アレルギーの子を預かったことがなかったものの、とても細かく気を使っていただきました。
そして長男くんは、お兄ちゃんになり、次男くんが誕生しました。
生まれる前は、いっそ同じアレルギーがあったほうが楽かもと思っていました。
次男くんはつるつるのお肌で生まれました。完全母乳の産院だったので、初めて母乳で育てました。
乳児湿疹もまったくでません。
次男くんにはアレルギーはなかったのです。
赤ちゃんの肌がこんなにふわふわで、柔らかくて、きめ細かくて、食べちゃいたくなるようなものだと初めて知りました。
長男くんはあんなにひーひー泣いてばかりだったのに、次男くんは穏やかで寝てばかりいました。
長男くんは、赤ちゃんの時からつらかったのかな。初めて思いました。
