うちの母は、私が8歳くらいの頃から慢性の精神病を持ってます。
どうして唐突にこんな事を書くのか?・・さあ~、自分でも分かりませんが、時々こみいった事を書いてみたくなるのです。
病気になってしまったきっかけは、目の病気を治すために強い薬を使った副作用で、脳内物質のバランスがくずれてしまったこと(>_<)。どの物質も一定のバランスで作られ続けるべきなのに、ある物質だけが大量分泌されてしまうので、それを抑えるための薬を飲み続けることが必須になりました。
精神系の薬は非常にデリケートで、半錠の違いが病気の状態を左右する。さらに、一旦病気が悪くなってしまうと薬を飲み始めてもすぐには効かず、病気の状態から普通に持ち直すまで平均で1年くらいかかってしまう。
現在は薬の質もかなり良くなっている事と、本人の病気に対する自覚もしっかりしているので、大きな発作が起こることも少なくなって、随分楽ですが(^_^)。
まあ、そんな母と子供だった私は中々うまくかみ合う事が出来なかった。なんと言っても、病気がひどくなっている時の母の行動は突飛を通り越して、本当におかしいから(°Д°;≡°Д°;)。
母の基本的な症状は、そう状態。ものすご~く、テンションが高いo(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪。一瞬たりとも止まっていたくない。
学校から帰ってくると、鍵を置いてくれずにどこかに行ってしまっている、なんてことは日常茶飯事。暗くなっていく庭の縁側に腰をかけてあれこれ一人で空想しながらただ帰りを待った(´・ω・`)。
思い出しながらふと、そういえば弟はどうしていたのかと・・。この、母を待つ時間の記憶の中にほとんど弟はでてこない。多分先に帰ってくる弟を連れて二人で出掛けていたのだろうな・・。
そういえば、もう私が随分大人になってからまた母の病状が悪くなった時に、弟に「お母さんの病気、また悪くなったよ」と言ったら、彼は全く以前の母の病気のことを知らなかった。・・私の前でだけ、特にひどくなっていたと言う事かも知れない。
とにかく、じっとしていたくないものだから、休みとなると今度は子供をつれて一日中あてもなくうろうろする(T▽T;)。
ある日、母は言った。「宇宙人に見張られているからテレビ局に訴えに行く」。(;°皿°)
行きましたとも、本当に。母は受付の人になにやら話し、その後スーツ姿の男性が出てきて、フムフムと話を聞き、母は満足して帰った。・・・すっごい迷惑だったに違いないけど、きっとそういう人がいっぱい来るんだろうな、テレビ局。手馴れたもんだった。
また、ある日はバッグいっぱいに割れた空き瓶を拾ってきて「これは元々地面から掘った物から出来てるのだから宝石だ。集める」と。(°д°;)。もっとも、この時まだ10歳そこそこだった私は母が本当に宝石を拾ってきたと思って大興奮したけど。
そんな話は枚挙に暇がない。
父は何をしていたのかというと、母の奇行が本当にひどくなってからは気づくようになったけど、初めは全く母の病状が進行している事にも気づかなかったヽ(;´Д`)ノ。何しろ、コミュニケーションをとるのが下手な人で家の中で会話をしているところを随分大きくなるまで見たことがなかった。気づいてからも、病院に連れて行ったり薬を飲ませる以外はどうしようもなかった。昼間は会社に行かないといけないし。
そうやって、病状がよくなるまでの間、しょっちゅう宗教を変えてみたり、色んな趣味をいきなり始めたり、父の出張中に夜中に音楽を大音響でかけたり、とにかく、家族は振り回されたし、私も精神的に落ち着くことがなくて、いつも疲れて眠かったo(_ _*)o。なんと言っても、母がイライラしがちで、全くこちらの話は聞かずに常に怒鳴るのも疲れた。
そういう事から、私はおどおどと落ち着きのない子供で、人とどうやって関わっていいのかもよく分からず、友達も出来づらかった。
それでも、子供と言うのは不思議なもので、時間がたつと本当にいやな事は忘れてしまう。
中学校くらいから私が25歳位になるまで母の病気が出る事はなかったので、その、随分後になってからの再発までの間はケロリと母がした奇妙な事の数々は忘れ去っていた。
病気の症状のないときの母は、ごく普通。高校時代からは家庭内に何もなかったので、楽しく学生時代を過ごすことが出来たヽ(゜▽、゜)ノ。
で、突然にその再発で全ての記憶が私の中に鮮やかによみがえった(_ _。)。しばらくは悪夢を見て熟睡できない日が続き、そして、ふと思った。
私を生んで育てていた事も、母にとってはものすごいストレスで、だから、病気もより悪くなったし、病気の時は私に冷たかったんじゃないか・・?母は、子供だった私を嫌いだったんじゃないか・・?実際、病気になる前から色々冷たくされたりもした。
その頃の私は、恋愛の延長で結婚する事には全く抵抗はなかったけど、子供が欲しいとはただの一度も思ったことがなかった。家庭を持つことに対する憧れは全くなかった。楽しい、幸せな場所だと言う認識を持つことが難しかったから、むしろ子供は欲しくなかった。
母の病状がよくなってからもしばらくは、つい、両親を避けてしまう日々が続いた。
その後、他にもいろいろな事情があったけど、とにかくオーストラリアに留学する事を決めて、必然的に両親とは電話で週一回くらい話す程度の付き合いに。
さすがに、誰も知り合いさえいない異国の地で心細くもなったし、私も両親もお互い年をとって穏やかになり、心配してくれる両親に、こちらも優しく接する事ができるようになっていた。
電話で何回か話すうちに、子供の頃はいろいろあったけど、今こうして自分が生きている事、育ててもらった事、大人になった今もなお、気にかけていてくれること、全てが涙が出るほどありがたい気持ちになった。
いったい、他の誰がそうまでしてくれるって、言うんだろう?
そうして、30も半ばを過ぎた頃、機会があれば子供が欲しいなあ、とようやく、人生で初めて思うようになった。
きっと、今の自分なら大丈夫って。
そんな中で、今の夫に出会って、娘が出来て。
運命って本当に不思議だけど、ある気がする。
今でも、私と両親が本当に分かり合えているかと言えば、正直よくわからない。それでも、すごく時間がかかったけど、ここまで来て、やっと両親の気持ちを汲み取れるようになったと思う。色んなことがあったけど、やっぱり、どうしたって私の親は、この人達でしかありえない。そして、この両親のもとに生まれてきた事を本当に感謝している。
もし、ごく普通の幸せな子供時代をすごしたなら、私は多分、もっと違う人間だったろうし、それはそれで素敵だったかもしれないけど、今の私は私のことが好きだ。
そして、娘の事もちゃんと愛してる。
このことに、私は今、心のそこからほっとしているのでした・・。
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