久々の更新ですが、ちょっと色々あって、書いてみたくなって、独り言です・。
クヌギは、クヌギだ。
桜や、梅や、りんごの木にはなれない。
春に華やかな花を咲かせ、人々を喜ばせる、桜。
花ばかりか、実でも楽しませる、梅。
栄養のある、長持ちする果物をたわわにつける、りんご。
子供の時、自分はそんなすばらしい木なんだけれど、まだ、そこにたどり着いていないだけではないかと夢を見ていた。
いつか、すばらしい花を満開にして、人々にうっとりとされる、そんな、桜のような木なんじゃないかと。
でも、そういう才能と生まれつく人々の数は、決まっている、と言う事に、ある程度物がわかってくると気がつく。
生まれついて、美しい人、勉強が出来る人、スポーツが出来る人。
もちろん、全ての桜が、ただそのまますばらしい大木になって人々に賞賛されるわけではなく、桜だって桜として一生懸命努力する。そうして、資質や環境、努力が合わさって、ようやく、美しい花を咲かせる。
人々だって、ただ、その桜の見た目に見とれているわけではなく、その美しい花を咲かせるまでになった時間を思い、感動する。
私は、自分はそういう特別な木ではなく、例えるなら、クヌギのような素朴な木だと思う。
でも、それでいい。
クヌギは、頑張って立派なクヌギになればいい。そうして、頑張って育つクヌギの木陰で時々誰かがほっと一息つけるような、そして、ただ、通り過ぎていくような、そういう存在でいい。
私は、そういう、クヌギである自分を好きで、より良いクヌギになる為にこつこつと努力をできる人間でいたいと思う。
親である、と言う事は、その木達が育っていく環境を整えてやるのが役目だとしみじみ思う。
桜であるならば、すくすくと良い桜になれるように、クヌギならば、クヌギとして育ちやすいように。
親は、桜であるわが子に、梅になれ、と言う権利はこれっぽちも無い。
また、所詮クヌギなんだから、とは決して言ってはいけない。
何の木であるのかは、本人がいつか自分で見つける。
本当の所は、どの木であっても大切な役目があって存在している、かけがえの無い存在なんだから。自信を持って、すくすくと育つ事が出来るようにただ、信頼して見守ってやる事くらいしかできないのかもしれない。
これから、色んな事があるんだろう。
子供達が不安になって枝を伸ばすのをためらう時、私はただ、あなたを信頼してる、と言ってあげられる親でありたい。
そして、その為にはもっともっと自分が強くならなければいけないんだろうな・・。
頑張らなくちゃ・。