昨日の療育の時、療育手帳の話になった。
DQ値があまりに低くてA判定になったと苦笑混じりに告げると、
「発達検査の数字は水物ですよ。だから結果は気にしなくていいですけど、それは是非活用してくださいね!
その結果、サポートが格段に増えるんですから、ラッキーですよw
ディズニーランドやUSJとか、どんどん行って下さい!
手帳見せると、どんなに長い行列にも並ばなくてすぐ乗れるし、それも特等席に座れますよ!
ミッキーとか優先的に来てくれるし!良い事づくめですよ!」
と言われた。
「それって・・・周りから反感買いませんか?」
と聞くと、
「それは大丈夫。会場にも、障がい者には優先的にするってことをあちこちに書いてあるし、スタッフがちゃんと説明してくれます。
そんなこと気にしないで、閉じこもらずにどんどん外へ出てくださいね!」
と、ほっこり笑顔で言われた。
「ディズニーランドもUSJも、アメリカから来てるから・・・
アメリカは、そういった障がい者保護の観点が日本より進んでるんですよね」
とも・・・
あゆの特性を見極めた上で検査をした場合、どんな数値になるのかはやったことがないのでよく分からない。
けれど、どれほど開きがあろうとも先の判定結果が今の手厚いサポートの元になっているのも事実で、それを思うと少し申し訳ない気分にすらなる。
もう十分に手帳の恩恵は受けている。
実際との開きがあることを承知しながら、さらに利用するのは何か詐欺みたいで憚られる。
ただ、定型児と同じやり方での結果ということは、定型児との本来の開きを表しているとも言え、どこか釈然としない。
小さい頃から小児精神科の主治医を持ち、その先生に発達検査をして貰っている友人は、あゆより遅れているようにみえるのだが今年は手帳返納になったとぼやいていた。
そんなことを考えると、両方の検査が必要なのではないかと思う。
定型児との開きをみる検査と、特性を理解した上での検査と、両方を照らし合わせて初めて子供の本来の姿が見えるのだろうと思う。
特性を理解してもらうこと自体が既に、サポートの域なのだから・・・
そして、親としてはこれも珍しいのかもしれないが、私はあゆに診断名を付けてもらうことには全く興味がない。
乱暴な言い方だろうけど、正直、全てを完璧に見極められる医師が日本には極端に少ないこともあるので、
広汎性だろうが自閉症だろうが、アスペだろうがカナーだろうが、適当な判断にしか見えない診断名をもらい、そこに当てはめることには全く意味がないと思っている。
なので、人に説明する時は状況に応じて
・発達障碍があるので
・自閉傾向があるので
といった使い分けをしている。
まあ、”自閉”という言葉を使った場合、
「診断名ついてるんですか?」
といったツッコミがあることもあり、そんな時は
「ネットで調べたら、結構自閉症の特性がでてるので、分かり易い様にそう言うようにしてます」
などと答えているw
まあ、実際”自閉傾向あり”は医師から言われていることでもあるので。
発達障碍がある。
今はただ、それだけを受け入れていれば良い事だと、そう思っている・・・