この頃、
ホームでは、夏祭り・文化祭・クリスマス会といった大きな行事が目白押しで多忙を極めていた。
おまけに会社では、部署の異動を命じられ、これがまたメチャクチャ忙しい部署で、毎日8時近くまで残業が続いていた。
(ちなみに、殆どがサビ残だった(T_T) ウルウル)
会社からホームへ直行し、帰宅時間は毎晩10時半。
父は、”母の弟”出現に激怒して、殆ど口を聞かない。
母は私に相談することもなかなかできず、心労が祟ったのだろう・・・
ガンが再発し、2度目の入院
やむを得ず、私はホームの講座を当分の間休み、役員の仕事も免除してもらった。
会社へも理由を告げ、病院が会社の近くだったので昼休みに会社の自転車を借りて病院へ行くことと、
残業の免除を願い出た。
この異動先の部署は、社内で最も年上のいわゆる"お局様”のFさんが一人でとり仕切っていた。
そして、私の異動の目的は、
Fさんの仕事の大半を半年かけて引継ぎを受け、
3月末には一人で出来るようになれ
というものだった。(この時点は9月か10月)
そして、この引継ぎが終わればFさんには新しい仕事を任せる事になっていた。
確かに、仕事のできる人だった。
膨大な仕事を一人でこなしていくFさんを、私はいつも尊敬の眼差しで見つめていた。
しかし、Fさんと仕事をするのは凄まじく厳しいものだった。
引継ぎの資料を作ってくれるような人ではない。
しかし、自分で作ろうにも、忙しいことを盾にして丁寧に教えてくれることはない。
聞いたその場で書き止めようにも、自分の言葉で書こうと考えるその時間すら与えてはもらえない。
2度同じ事を聞けば
「言ったでしょ!」
と呆れたような冷ややかな声が返って来る。
覚えなければならない仕事はまだまだ残っているはずなのに、今ある仕事を片付けなければ教えてはもらえない。
毎日の膨大な仕事をこなしきれず、残業も出来ない私は、昼休みも給食を10分程度で掻き込んで仕事に戻った。
のんびりした部署にいる同期二人がのほほんと仕事をしているのを横目に見ながら、トイレに立つ時間すら惜しんで、必死で仕事をこなす私。
それでも、新しい仕事の引継ぎは、遅々として進まない。
母は2ヶ月程度で退院したが、無理はさせられず殆ど残業は出来ない。
この時期、何度悔し涙を流したことか・・・
そして、母もまた、毎日疲れた表情で帰ってくる私に相談しようとはしなかった。
祖母の遺産問題は、完全にストップしていた。
その年の年末。
最後の出勤日には、毎年功労賞の授与があった。
他の受賞者とともに、上記の同期二人の名前が挙がり
私は・・・呼ばれなかった・・・
プツン・・・・と、糸が切れるのを感じた。
一気に、やる気をなくした・・・・
年が明けた。
あと3ヶ月で、この人から分かれて独立して仕事ができる。
必要なことの引継ぎは大方聞いた。
4月になれば、自分がやりよい様に仕事を変えていけばいい。
それまでのガマンだ・・・あと○日・・・・
それだけを心の支えに過ごす毎日・・・
年末のことは、忘れるんだ・・・・
3月末。
部長から呼び出された私。
いよいよだな・・・・
ホっとした表情で部長の前に座った私に告げられた言葉
倉庫課への異動を命じる
・・・・Kちゃん・・・・・・・・