昨年8月から、母のことを自分の記録として書いてきました。

まさかこんなに早く母との別れを書くことになるとは思っていませんでした。


今まで、拙い文章を読んで下さって、ありがとうございました。

母のことを綴ったブログをこれで終わりにします。


今も色々な病気と闘っている方、ご家族に少しでも心の平安を、と願います。


ありがとうございましたm(__)m




また暗い話になります。


母を天国に見送って10日が経ちました。

遺影は認知症になる前のものを選びました。

その写真を眺めながら、一体この母はどこにいるのだろう?確かに母を看取ったのだけど、その時の母はこの遺影の母とは別人のように思いました。


色々なことがわからなくなり、私たち姉妹を認識していたのかどうかもわかりません。

認知症の怖さ、残酷さをしみじみ感じます。

でももし母が認知症を発症してなかったら。痩せて力が無くなっていく自分を娘や周りの人に見せて、介護、看護を受けることをどう思っただろうか?


母は以前にも書いたようにプライドが高く、人に弱みを見せることが嫌いな人でした。


もし認知症でなかったなら、介護を受けることに、とても辛い思いをしていたのではないか?と思います。


認知症という病気になったことは決してプラスではありません。でもそのおかげで、母自身の気持ちは安らかだったのではないか?ということです。


私の心の中に居るのはこの遺影の母です。

上手く言えませんが、認知症という病の怖さと、その意味を考えさせられます。




暗い話になります。


無事に母を見送ることが出来ました。

父を見送った時にも思ったのですが、亡くなってから葬儀までのバタバタ感は一体どうしたものかと思います。


次々とやらなければいけないことがあることで、気持ちが落ち込んでしまうことがないようにするためでもあると何かで聞いたことがありますが、、、


私は施設で母を看取ったのですが、自宅でとても大変な思いで介護をされてた方にとっては気持ちも身体も限界なのでは?と思います。


もっと大変なのはそのあとの役所関係の手続きです。

先日、役所のお悔やみ窓口に行ってきました。

説明を聞くこと1時間!

多くの項目のなかで必要の無いものも沢山あったにもかかわらず、頭がパンクしそうでした。


これから戸籍謄本を取り寄せて書類に記入して、、、、、、、、

父の時よりも大変です(結婚で戸籍を抜けてるため)。


人が1人亡くなるというこもの重みを改めて感じると同時に、どうにかならないものか?マイナンバーカードで一気にまとめて出来ないものなのか?と思ってしまいます。


まだまだ悲しみの中で、あれこれの手続きは遺された者にとって負担であることには間違いないと私は思います。


ちなみに、マイナンバーカードがあって省略出来たのは、住民票の取り寄せが不要ということだけでした。