今日、祖母の妹が脳梗塞で倒れた。

余震の疲れや、ライフラインの不便さ、原発の不安の影響もあるのではないかとおもってしまいます。

その親戚がとても心配だし、どうか助かってほしい。
そして、倒れた祖母の妹と祖母は毎日のように一緒にお茶を飲む、仲良しの姉妹だったため、祖母の心労を考えるとまた心が痛みます。

そして、昨日原発から20キロ圏内に実家がある友人と話して、衝撃的な話を聞いてしまった。


津波の被害があって、30キロ圏内の避難所にいたひとたち、
被爆の不安からか支援物資が途絶え、
食事はもちろん、電気、水道、ガスすべてとまり、
御小水を飲んでしのんでいるらしいです。

屋内待機のため他の避難所へ逃げることもできないとか。


なんといっていいか。。。
言葉がでません。



喉がかわけば水が飲める、品薄ながらも食事に困らない、温かい布団で寝ている自分が、
本当に申し訳なくて、
でも、どうすることもできなくて、
辛くて仕方がない。










今日、一つほっとすることがありました。

安否不明だった親戚一家との連絡がとれて、みんな無事だったとのこと。


こうやって、一人でも多くのひとたちが、
早く無事を確認したり、
今も家族と会えない人が、再会できますように。


これから我が家は停電です。
懐中電灯もない我が家での停電は暗闇で、旦那ももちろんいなく、正直本当は怖いのだけど、
被災地の方に比べたら、なんてことはないんだよね。

がんばろう。

原発のある福島に住む母からメールがきました。

「もう、半分だめかもしれないと思っています。
お父さんのところへ行きたいけど、みんなを置いてひとり行けません。
涙ばかりあふれます。
もう、なにがあってもおかしくない。
こどもたちをしっかり、守るのよ。
また会いたいです。」



わたしの家族は、みんな東北に、バラバラに住んでいます。

そして、ほとんどの親戚がみんな福島で生活しています。

今も安否のわからない、津波の来た地域に住む親戚もいます。


父の地域は安否確認はとれましたが電波が遮断され、メールも電話も繋がらないままです。

一度実家へ避難してきた兄は職場が心配で、仙台へと帰りました。避難所での生活です。
ガソリンが尽きたので、もう福島へは戻れません。

弟は自分の家もひどい状況ながら、仕事上、地域の人たちを支援したり安否確認を手伝ったりしています。


それぞれ、ガソリンもギリギリで集まることもむずかしいし、
なにより、父、兄、弟は東北を建て直すため、すでに毎日働いているため、しばらくの再会はむずかしいです。

そんな中、原発の不安。

ただでさえ、ひとりぼっちの母。
原発の不安から家から出れない。
水もでない。
食料もじゅうぶんにない。


どれだけおそろしいかと、胸が痛みます。


助けたいのに、
助けに行けない自分に悲しいです。

わたしがもし、母を迎えに行けても、ひとり暮らしの祖母を含めたくさんの福島にいる親戚を置いて、
一緒に東京には来てくれないでしょう。


わたしにできることは、
募金と、
節電、そしてこちらから元気づけることくらいです。


みんなで、節電、がんばろう!!!


そして、もしこのブログを被災地の方が見ていたら、
どうかどうか、諦めないで。

一人じゃないよ。
大丈夫だよ。

がんばろう。

今回の地震、
東北地方に住むわたしの家族は、無事に連絡がとれ、命は助かりました。

兄は地震の発生から一日半たつまで安否不明のまま、
テレビでは兄の住む地域におしよせる津波、倒壊していく家屋の様子が流れ、
本当に心配で食事も喉を通らず、
泣きながらひたすらに無事を祈り、連絡をまつだけでした。


今現在は連絡がとれ、
家が無事だった実家で母と2人で生活をしていますが、
水道はずっと止まったまま、
食料もどこにも売っていなく、自動販売機もどこもからっぽ、
ガソリンも買えず、
厳しい生活のようです。

独り暮らしで、足が悪く、さらに最近肋骨を骨折したばかりの祖母の家では、さらに電気もつかないみたいです。

まだまだ寒さの厳しい東北。
どれだけ寒いか、本当に心配です。


原発の近くだったため避難している友人もいます。




馴染みのあった街が、変わり果てている映像を見ると、言葉を失い、


これか現実とはおもえない。
本当に大変なことになってしまったと思う。



どうかどうか、一人でも多くの人が助かりますように。祈るばかりです。