おはようございます
夫のお墓のあるお寺さんから、新盆の案内が届きました。
あぁ、もうお盆が近いんだなぁ…
去年の今頃は、夫は、心臓のステント手術を終えて、4日が退院だったと思います。
手術の日もなかなか決まらなかったのに、手術したあとは、もう、することは無いとばかりに早々に退院させられることになり、迎えいれる準備にてんてこ舞いしたことを、覚えています。
残り少ないのであろう夫の時間を、楽しく有意義に快適に、住み慣れた家で過ごして貰いたい。
そう思う気持ちはもちろんですが、
当時の私はとにかく不安で不安でたまりませんでした。
毎日3食、糖尿病食を作ることがちゃんと出来るのか?
これから始まる抗がん剤治療の副作用は、どんな物になるんだろうか?
ちゃんと、身体的にも精神的にも支えてあげることが出来るのか?
…生命保険もがん保険も入ってなかった夫。
果たしてお金はどのくらいかかるのだろうか?
当時の夫は、のちのちの不安定さに比べたら、まだかなり精神的には落ち着いていましたが、それでも、良かれと思って私がした事が気に入らなかったりすると、ものすごく機嫌を損ねてしまったりだとか。お見舞いに来た友達の前で、すごく怒られたりだとかも増えていて…
ふたりっきりで過ごす生活が、とてもとても不安でした。
思えば私、自分の事ばっかりだったかもしれません。もっと夫の気持ちに寄り添ってあげられたらよかったな。
夫は夫で、抗がん剤治療をすることで、何がなんでも生きてやろう、と意気込むというより、出来るであろう猶予の期間で、死ぬまでにやりたい事とか、食べたいものとかを、どれどけ叶えられるか。毎日そんなかんじだったように思います。
夫のやりたいこととか、食べたいもの行きたいところ、会っておきたい人、何でも叶えてあげたかったですけど。
なんだかんだで、夫はまだまだ生きてくれると思ってましたので…
ほんとにお医者さんが行った通りの余命であれば、なんとかお金はもつでしょうが、いつまで、だなんて、そんなのは神様だけが知ることです。
2年、3年と、闘病生活を続けつつ、今の調子でやりたいことをやりたい放題やっていたとしたら、もっと本当に具合が悪くなってきて、介護にお金が必要になってきた時に足りなくなるのではないか?
そうなった時に、今よりももっと介護が必要になっているであろう夫の世話をしつつ働きにでて、私がお金稼いで、そのお金で支えていくことができるんだろうか…?
だったら今のうちから仕事に出るべきでは?
こんなことしてていいの?
少しでも生きていて元気にしてて欲しい気持ちと、この先の生活に対する漠然とした不安がせめぎ合っていたように思います。
でも、この頃はまだ、全然マシだったのですよねぇ…