こんにちは
最近、皆さんのブログを見れずすみません。

長野県犯罪被害者支援条例

6月15日放送 イブニング信州(←当日の放送動画6分50秒頃)で、長野県の犯罪被害者等支援条例について放送され、佐久市の条例についても触れられています。
佐久市では、弁護士会と協定を結び、事件、事故の被害者が、被害後早期に(1年以内)弁護士に報道対応を依頼できます。このような支援体制を整えていただけたことは、急な被害に混乱する被害者にとって非常にありがたいことです。

事件発生直後、警察の報道への発表は、捜査中ということもあり限られた内容であると感じます。
実際、私たちも、加害者が飲酒後に横断歩道上の息子を撥ねた事、救護せず買い物に行っていたことなどは伝えられず、「夜間、横断中の事故」程度でした。そのため「飛び出し」、「自殺」、「夜遊びしていた」など事実無根の噂がネットに広がり辛い思いをしました。(因みに遺族であっても事件の内容を知ったのは起訴直前。詳細を知ったのは起訴後でした。これも問題だと感じています)

また市内で被害に遭った他のご遺族は、飲酒運転の被害に遭い、横断歩道上で撥ねられたのに、ある新聞の第一報では「近くに横断歩道はなかった」等と事実ではないことが報じられ非常に辛い思いをされました。

このような内容を佐久市にお伝えしたところ、弁護士の報道対応を制度化してくださったのです。

昨日の放送にもある通り、早期に弁護士に報道対応をしていただけることは、被害者側の気持ちを伝えてもらうこともできるのです。記者会見だってできると思います。(私は市役所をお借りして、記者会見を行わせていただいたことがあります。)
一部の報道では、報道規制を懸念した内容が報じられていましたが、逆だと思っていました。
今回の放送で、しっかりと報じていただけて、よかったです。

佐久市長様やご担当者様が、被害者の立場から真剣に考えてくださった条例は、他の市町村の手本となる充実した内容です。そして、条例制定を要望したのが、市内で発生した交通犯罪遺族だったこともあり、日常生活支援を交通犯罪による被害者へも広げてくださいました。今後、全国の市町村へ広がって欲しいと思っています。


事故という言葉への違和感等…
「交通事故」という言葉から、事故=うっかり、不運、どちらも悪い…等と思われがちです。
(被害者に落ち度がなく、悪質運転者に理不尽に家族を奪われた遺族は「事故」という言葉は当てはまらないと感じていて、使いたくないのが本音です)

問題だと感じることは、交通ルールを守らず(更に救護もせず)被害の生命を一方的な犯行で奪った加害者本人、そしてその家族らまでもが、反省もせずに上記のように「うっかり、不運、どちらも悪い…」くらいにしか考えていないことです。

原因の無い交通死亡「事件」はありません。
例えば、歩行者か横断歩道以外を飛び出し横断し、亡くなられた場合等は、運転者が避けようも無く「事故=過失」だと思います。(その場合も運転者に救護義務はあります)しかし、被害者に落ち度が無い場合も「事故=過失」なのか?と違和感を覚えます。
人を殺そうと考えて運転していないにしても、前を見ていなければ人を轢くのは当たり前です。速度超過は故意にアクセルを踏んでおり、制限速度を守らなければ他の道路利用者に危険を与えるのは、わかりきったことだと思います。飲酒運転は、検査時の数値に関係無く、飲んで運転すること自体が、街中で刃物を振り回すようなものです。人を死傷させても構わないからできることだと思います。

また交通死亡事件を起こす加害者は、以前から違反や事故をくり返し、車で人を死傷させる前兆があったと感じるが者が少なくありません。

こんな運転をすれば事故を起こすのは当然 と思う事案が、何故「事故=過失」なのだろうと思います。一方的な犯行で人を死に至らしめ、その家族の生活を壊しても、交通犯罪の加害者の多くが過失犯として裁かれ、まともに反省の機会すら与えられません。(過失運転致死で起訴された場合9割以上が刑の執行を猶予されます。)
そして、加害者の多くが嫌な記憶は消し去り、まるで何ごとも無かった態度なのです。
世界で一つの尊い生命を奪っても、謝罪すらせず、賠償は代理人任せで、自分の懐は痛くも痒くもないのです。そして、一年もしたら運転免許を再取得して何事もなかった態度です。

他人の生命を奪いながら、そんなに簡単に済まされてしまう社会の流れを誰がつくったのだろうと思います。悪質な加害者ほど、自分に有利に供述を変え厳罰を免れます。反省しなければいけない人に、しっかり反省させないから、自分の犯した罪を忘れ執行猶予期間中に不正改造車を乗り回したり、不法焼却罪等新たな罪を犯す酷い者も出てくるのです。

嫌なことから目を背け、自分のことしか頭にない加害者らは、被害者と同じ経験をしなければ、分からないのかもしれません。(元々想像力に欠けているから危険な運転をして人の生命を奪うのだと思います。)

せめて当時を思い出し、現場に身を置き、自分が何をして、何をしなかったのか、その結果どんな重大な結果を招いたのかよく自分の頭で考えて、本当のことを話すべきです。

そして、あなたが被害者ならどう思うのか。

控訴する被告人、あなたのしたことは、裁判官が宣告した罪に値しないのか。


正気で無罪だと思っているのですか?

加害者の指導監督を法廷で誓いながら、実際には反省も更生もさせていない家族らも無関係では無いと思います。


少し前、ある交通事件の控訴審判決を傍聴しました。ひき逃げ死亡事件なのに、人を撥ねた認識を否認し、過失運転のみで起訴された事案です。一審判決が維持されると閉廷後すぐに弁護人が被告人に「上告!」と言いました。上告を決めるのは、被告人じゃないのか?と思いました。上告してもらえば、弁護人は収入が増えるのでしょう。ご遺族へ謝罪をするよう被告人に促すこともせず、君は悪くないと洗脳しているように感じました。被告人の両親も険しい表情で、ご遺族に対し頭ひとつ下げません。
なんて人たちだろうと思いました。
一方傍聴席のご遺族の横に、被害者側弁護士の姿はありませんでした。控訴審では、ご遺族に付き添うことすらしない弁護士もいることを知りました。確かに出番はないし、来てもらったところで出張費や交通費を払うのはご遺族です。とはいえ後に民事裁判を控えているのに、刑事の行方は気にならないのか?と、複雑な気持ちになりました。

加害者らには、自分たちのことばかりじゃなく、被害者の未来を奪い、多くの人たちに哀しみを与え、どれだけの人たちの人生を変えたのか、人としてよく考えて行動して欲しいです。


突然、何の理由もないのに、赤の他人に大切な家族を奪われるということはどういうことなのか。

被害後も続く遺族の生活を、加害者こそ知るべきです。

事件は違いますが、この記事を読み、そんな気持ちになりました。
12年前、娘が触れた髪



最近、心にのこったニュース。
生命の強さを感じました。

・コロンビア墜落事故。ジャンクで40日間子供4人生存。 母親は4日間生きていた。

最近、ミッキーのお墓参りに行けていない私達のために、佐久の友人がお墓参りに足を運んでくれました。




更に、ミッキー広場の草取りまでしてくれました。私達のために、本当に有難いです。
ミッキーも感謝しているはずです。

いつも私達家族のことをおもってくれて、大変な時に力になってくれる友人に心から感謝しています。

本当にありがとう。


R5.6.7Jちゃん撮影 ミッキーの樹



久しぶりの投稿で長文になりましたが、

最後までお読みいただきありがとうございました。


再びコロナ感染者が増えているようです。

皆様、お身体にお気をつけてお過ごしください。