有名な言葉に『大切なものは無くして初めてその大切さが分かる』なんてものがありますが、
私はいままで「なんで大切なものなのに無くしてみて“初めて”大切に思えるのか」がわかってなかった気がした。
それはただ単に、いままで大切なものを無くしても意外と“変わること”がなかったから…、いままで本当に大切に思えるものを得たことがなかったから…、その事をあまり感じられていなかったのかもしれない。
だけどいま、人生で初めてじゃないかと思うくらいに、その感じに追い詰められている気がした。
うーん。ある意味試練かな。
でもそれは、今この時に私が眼を反らしてしまおうとしていたことに向かせるためにはとても有効な気もして。
このままもし乗り越える方向に進めたとしたなら、それは回り回って感謝の気持ちになるのかもしれない。
導きの火・・・
新たにする水と油・・・
知らず知らず頼り委ねてきたところの大きさ・・・
心の支えにしてきた部分の大きさ・・・
どれだけ生きたいという気持ちにさせられていたか・・・
言葉に行いに・・・
安心とやすらぎと健康。
すべてがいま共に見えた。
うん。たいせつ。
もしかすると、この気持ちはいつの日か失うことがあるのかもしれない。
でもそれはまだ今じゃない。
なにより、ちゃんとするまではおいては生きたくない。
そう思えた。
もしかしたら、大切さは気が付かないうちに、
清められて強められていくものなのかもしれない。
わたし、少しずつあしもとにある道が見えてきた。
まだその先々は見えてはいないけれど、
その上を歩くかぎり私たちは「光の中にいる」そんな気がした。
私の人生に流れる水が、
清水だろうと泥水だろうと、
わたしは必ず美しい花を咲かせてみせる。