ばかみたいだけど、ミサで涙が出た。
いつの間にか・・・
毎日、なんでだか・・・
やけに嬉しくって“胸がイッパイ”になってた。
一年前も私は木曜から日曜まで、
一年前も私は木曜から日曜まで、
同じように教会にいってた。
だけれど、あのときは“巡礼者”でしかなくて、
まだ知り合いもいなくて、
たいせつな友の隣に座らせてもらって、
なんとなく縮こまって、
静かに祈りの時間をうけてた。
あれから一年が廻って、
あれから一年が廻って、
気が付けばまた同じところにいる。
それも全く異なった立ち位置で。
この復活の日。
その一日が終わった帰り道。
それは私の心が東京に出たいと初めて思った瞬間なのだった。
これから先、何年が経っても、
それは私の心が東京に出たいと初めて思った瞬間なのだった。
これから先、何年が経っても、
「復活=導き≒出逢い」
みたいな式と喜びが、また
ばかみたいについてくるんだと思って。
それに感謝。
近頃、心の中での感情の起伏みたいなのが激しくて。
近頃、心の中での感情の起伏みたいなのが激しくて。
そんな自分にいやけがさすことがある。
うっかりするとネガティブに走りたくなる。
現実にも自分で自分を傷付けてる気がする。
でも、そこに信じるもの,唯一絶対なことがあることこそが
「落ち着くこと」「愛すること」「感謝すること」
「頑張れること」「明日を見い出すこと」・・・
さらには「生きること」を決めんだったりして。
そして、いまの私にはそれがあることに
この一週間(4日間)気付かされ、大いに反省した。
やっと冷静になって考えた。
やっと冷静になって考えた。
〔この日本では一日に数えきれない人が自分を苦しめて死を選ぶ。
それだけ生きずらい世の中なのかもしれない。
そして私の周りには悩む人が集まってくる。
ほんとに生と死でどちらを選ぶかまで思い詰めた人もいた。〕
だからこそ、自分がこうして“生”を選ぶことが出来たこと
それを大切にしなきゃいけないんだと思う。
こんな私でも、
こんなちっぽけな私の命でも、
少しでも誰かの役にたてるなら、
それは本当に幸いなことなのだろう。
そしてこの一週間、毎日うかんできた言葉。
本当に“心のささやき”みたいに生まれてきて、
反復するたびに、涙が溢れてきたのでした。
ああ、これほどに嬉しいことはない。
今の私には素晴らしい天使たちがいて、
ちゃんと囲まれているじゃないか。
そうか。
なぁんだ、私は神様に十分愛されてる。
こんなにも嬉しいことはない。
どんな時にも、
私を見つけ、見守ってくださっている。
わたしは一瞬でも、
あなたを疑おうとしてしまった。
ごめんなさい、かみさま。