
私が行きたい場所のひとつ
岩手県大槌町にある風の電話
2018年11月12日母が亡くなりました。
母は心臓が悪くて、大腸癌でもありました。母が体調が悪くして入院する事になって、いざ退院間近になった時に病院🏥のケアワーカーさんと主治医との退院に向けての話しをする事になった時に、私が車椅子で障害者である事で自宅への帰宅は行政により却下されてしました。
それでも私は、諦めませんでした。
週末は自宅へ外泊許可をもらい、施設にいる日は週3日にしました。
母は認知機能には、問題がなくて、自分の事は自分で出来るまでになって居たし、私の側に居たいと言うのが母の思いでもありました。母が段々と弱って行くのは、歳を重ねて来ているのだから当たり前なので、私は一緒に食事をして、TVを観て、たまに母の大好きな花を一緒に買いに行く事が出来ればそれで良かった!
毎日の出来事を走書きではあったけど、書いていました。それは、施設に入ってからも変わらない日課でした。
母の生前、寝ている間に死にたいと言う事を良く口にしていました。私は、それだけはイヤだからねって!
でも、母は本当に寝ている間に亡くなりました。母が入所して居た施設は、妹が勤務している施設で、父も亡くなるまで入所していましたし、母が掃除専門で派遣されて居た施設でもあり、母の希望で父が入所して居た施設に入らなければならないなら、そこが良いと言う事で妹に頼みました。
これも偶然なのかわかりませんが、妹は認知症専門棟の職員でしたから母の居た棟にはあまり来る事がなくて、洗濯物や仕事終わりと始まりに顔を出している事くらいまでしかなくて業務として入る事はなかったですが、その日は勤務交代で夜勤で入る事になりました。夕食をすませて、居室に戻り、同室の人達と話しをして、妹に促されてトイレに杖歩行で行き、就寝になりました。23時頃に妹がラウンドに行ったら母が起きて居て、まだ寝られないと話したそうです、妹は、これから仮眠するから2時間したらまた来るからと母に行ったら母は、ちゃんと寝ろよ、私も寝るからが、最後の会話だったそうです。
2時間位たった2時過ぎに妹が母の元に行った時には、冷たくなって、息をしていない母がいたそうです。
連絡を受けて、私は母の元に向かいましたが、どうやって行ったのか?覚え出せてはいません。
母の葬儀中に倒れてしまい、息子夫婦が看護師なので、診てくれて、次男の車🚗で病院🏥に向かいました。
私には母の葬儀中の記憶がなくて、亡くなった事は、御骨や御位牌から解りましたが、現実日がなくて、今でもお仏壇を直視出来ていません。
後片付けに追われて、施設に挨拶に行った時に、母の日記帳の事を聞いてみました。
何冊かあったのにどこを探してもなくて、妹達にも聞いたけど知らないと言うので!施設で母の担当していた方が、教えてくれました。母は家🏠に帰りたいけど、姉ちゃんが大変だから私は帰れない!姉ちゃんの側に私は居たいだけなんだけど、みんなダメだって言うだけど、姉ちゃんの側には誰も居ないだよね~!ってその人に妹には絶対に言わないでと言っていたそうです、そして、日記帳を全て処分したいと!母の愚痴が沢山書いてあった事を私は知っていました。家族が皆知らん顔している事を沢山書いていましたから、揉め事になる事は残さなかっただと思います。母は揉め事が嫌いで、私の性格をよく知っていて、黙っていられない性格を!
母は自分で事務所に行ってシュレターにかけたそうです。
母の葬儀の前後の記憶が無い事は私には辛くて悲しくて、母に申しわけなくて、その事をドクターに話したら、今思い出す必要は無いよ、ちゃんと向き合える時が来たら、ちょっとだけかもしれないけど、思い出すかもしれないから!
救われた言葉でした。
風の電話📞で母と話しがしたい!
返事は無い事はわかっているけど!

