亜麻蛙のRSD/CRPS闘病日誌 -4ページ目

亜麻蛙のRSD/CRPS闘病日誌

RSD/CRPS反射性交感神経ジストロフィーと言う難病と愛犬のダイくんを亡くし、今は愛犬のアイちゃんと父母の愛猫二匹、4人家族の日々です。長い距離は歩けなくなり、不便になりましたが、私のセラピー犬と日々を送る毎日です




私が行きたい場所のひとつ
岩手県大槌町にある風の電話

2018年11月12日母が亡くなりました。
母は心臓が悪くて、大腸癌でもありました。母が体調が悪くして入院する事になって、いざ退院間近になった時に病院🏥のケアワーカーさんと主治医との退院に向けての話しをする事になった時に、私が車椅子で障害者である事で自宅への帰宅は行政により却下されてしました。
それでも私は、諦めませんでした。
週末は自宅へ外泊許可をもらい、施設にいる日は週3日にしました。
母は認知機能には、問題がなくて、自分の事は自分で出来るまでになって居たし、私の側に居たいと言うのが母の思いでもありました。母が段々と弱って行くのは、歳を重ねて来ているのだから当たり前なので、私は一緒に食事をして、TVを観て、たまに母の大好きな花を一緒に買いに行く事が出来ればそれで良かった!
毎日の出来事を走書きではあったけど、書いていました。それは、施設に入ってからも変わらない日課でした。
母の生前、寝ている間に死にたいと言う事を良く口にしていました。私は、それだけはイヤだからねって!
でも、母は本当に寝ている間に亡くなりました。母が入所して居た施設は、妹が勤務している施設で、父も亡くなるまで入所していましたし、母が掃除専門で派遣されて居た施設でもあり、母の希望で父が入所して居た施設に入らなければならないなら、そこが良いと言う事で妹に頼みました。
これも偶然なのかわかりませんが、妹は認知症専門棟の職員でしたから母の居た棟にはあまり来る事がなくて、洗濯物や仕事終わりと始まりに顔を出している事くらいまでしかなくて業務として入る事はなかったですが、その日は勤務交代で夜勤で入る事になりました。夕食をすませて、居室に戻り、同室の人達と話しをして、妹に促されてトイレに杖歩行で行き、就寝になりました。23時頃に妹がラウンドに行ったら母が起きて居て、まだ寝られないと話したそうです、妹は、これから仮眠するから2時間したらまた来るからと母に行ったら母は、ちゃんと寝ろよ、私も寝るからが、最後の会話だったそうです。
2時間位たった2時過ぎに妹が母の元に行った時には、冷たくなって、息をしていない母がいたそうです。
連絡を受けて、私は母の元に向かいましたが、どうやって行ったのか?覚え出せてはいません。
母の葬儀中に倒れてしまい、息子夫婦が看護師なので、診てくれて、次男の車🚗で病院🏥に向かいました。
私には母の葬儀中の記憶がなくて、亡くなった事は、御骨や御位牌から解りましたが、現実日がなくて、今でもお仏壇を直視出来ていません。
後片付けに追われて、施設に挨拶に行った時に、母の日記帳の事を聞いてみました。
何冊かあったのにどこを探してもなくて、妹達にも聞いたけど知らないと言うので!施設で母の担当していた方が、教えてくれました。母は家🏠に帰りたいけど、姉ちゃんが大変だから私は帰れない!姉ちゃんの側に私は居たいだけなんだけど、みんなダメだって言うだけど、姉ちゃんの側には誰も居ないだよね~!ってその人に妹には絶対に言わないでと言っていたそうです、そして、日記帳を全て処分したいと!母の愚痴が沢山書いてあった事を私は知っていました。家族が皆知らん顔している事を沢山書いていましたから、揉め事になる事は残さなかっただと思います。母は揉め事が嫌いで、私の性格をよく知っていて、黙っていられない性格を!
母は自分で事務所に行ってシュレターにかけたそうです。

母の葬儀の前後の記憶が無い事は私には辛くて悲しくて、母に申しわけなくて、その事をドクターに話したら、今思い出す必要は無いよ、ちゃんと向き合える時が来たら、ちょっとだけかもしれないけど、思い出すかもしれないから!
救われた言葉でした。

風の電話📞で母と話しがしたい!
返事は無い事はわかっているけど!





コロナ禍になる前に、三叉神経腫瘍が左右両方にある事が耳鼻科で解った。耳鳴りがして、キーンキーンと毎日響いていて、TVの音もボリュームが高くなって来たから、受診する事にしたですが、MRIを撮って、検査の結果待ちだったですが、スマホに病院🏥から連絡があり、次回受診日にご家族も一緒にと•••••何かが見つかった?って言う事なんだなぁって、その時に思った位だった!
家族には連絡せずに私は1人で病院🏥に行きました。ドクターが、ご家族は?って聞いたけど、私1人で大丈夫ですと・・生きる事に意味が解らなかったし、治療する気がなかったから、今でもその気持ちに変わりはないなぁ~!
ただ痛みだけはイヤなので、取ってほしいのが本心です。
結果は、左右両方に三叉神経腫瘍がある事と、左側の三叉神経腫瘍は、血管を狭めているから、脳梗塞などのリスクがある事を言われました。後は神経内科の先生と相談して、脳外科は行く様に言われましたが、コロナ禍で、中々病院🏥に行かれてない日々が3年間も続き、時々麻酔科で、トリガーをしてもらっていました。
神経内科の先生とは、合わなくて距離が出来て居たので行きたくないと言う気持ちが勝ってしまいました。

元診てもらっていた神経内科の先生があまりにも良い先生で、15年間診てもらっていたし、私の病気を見つけてくれた先生だったから、定年するって聞いた時のショックは想像以上でした。その後引き継いでくれた先生は、患者を診ない、パソコン💻に向かって話しをする先生で、コロナ禍の中病院🏥に行っても、私の身体を診る事をしない人で、何の為に神経内科に受診するのか解らなかった、神経内科で三叉神経腫瘍の報告をしても、まだ、脳外科に行く必要ないと言われ、私に触れるのではなく、パソコン💻に映る画像だけを観ていました。その神経内科の先生は女医でした。諦めの気持ちだけしかなくて、この先生で大丈夫?イヤって思って、行かなくなりました


神経内科をきる事は出来無い事は、解っていたけど、何もしてもらえないのなら行く必要ないと感じたから!
麻酔科でとりあえず、様子を診てもらっていたのですが、後頭部にも痛みが出て来ているし、腫瘍部位の痛みも⬆️⬆️している事と、大きくなっている事で、耳鼻科で精密検査をする事になりました。

指先の感覚異常や右足の膝と股関節は後回しする事にしました。
私1人で全部回るのは無理なので、順番です。
何故1度に色々出てくるかなぁ~😓
別に生きていたいとか、長生きしたいと思ってないから、痛みさえ少しだけ⤵️⤵️ってくれたら、それだけで十分✌️
治療する気持ちがないのに検査するのもなぁって思うだけどなぁ~


お盆でみんな帰って来ているから、改めてお願い🙏したい!
1日も早く迎えに来てほしい!
後どうしようか?
模索中•••••



電動車椅子の申請却下の通知が届きました
解っていた事だったけど!

開封して、改めて読むとまたあの日の事を思い出しました。あの日から私の心は死んだも一緒!ずっとストレスがかかっていて痛みが⬆️⬆️


この病気をきちんと知っている医師なら良かったとしか言えない💦


労災で障害者になったのだから労災で観てもらいなよと言われている気がする!
労災枠
障害者枠
同じ厚生労働省なのに、私達には選択肢が無い!

何気ない日常がたった一瞬で変わった日を思い出してしまた。


知らない事が多くて、仕事中のケガから障害者になったら全てが労災が優先で障害者枠はほぼ使えない!
労災枠は障害者枠よりも厳しい

どちらも却下されたら、家🏠から出るなって事なんだぁ~😓

もしくは自費購入


そんな余裕ないよ~💦