Candy Box -2ページ目

今年もこの日がやってきた



忘れられない記憶の日



また1年が過ぎたんだね



無事に今日を迎える意味



大切に考えたい







だいぶ時間を重ねたなぁ…



私もだいぶ歳をとったけれど

この1年は自分の親の年齢を考えた






父に続き母もとうとう80代に突入した


まだ2人で実家で暮らしている



父も母も車も運転していた



いる…じゃないのは

年上の父よりも先に母が

運転を辞めるように言われたから




嫁いで実家を出てから

一緒に暮らしていない時間



実家にいた時間と半々くらいになった私



父のことも母のことも

たまにしか会わないから

現実がわかっていない



ある日父から

母の記憶力が気になると言われる



私には普通に年相応の劣化にしか思えない



私だって色々忘れる

本当によく忘れるし

色々なものの名前も出てこない



そんなの80歳にもなったら普通でしょ?



それでも父は違うんだという



結局母を病院に連れて行った父




軽度認知障害?

そんな診断を受けてきた母



そうなんだ…

正直未だに私にはよくわからない


会うときの母はとくに変だとは思わない



そんな母が服薬を始めたことで

思いも寄らないことが起きた


実家が大騒ぎだったらしい



実家の近くに住む私の弟と姪っ子たちが

なんとかサポートしてくれていた



多分薬が効きすぎた…


そして認知症サポートセンターも受診となり

急遽ケアマネさんを呼んで手続きもして

結果、要支援1でヘルパーさんが来ることに


心の整理ができなくて

大泣きした



大好きな母が

いつか認知症になっていくという現実



今は薬にも慣れたようで

私が会うときには今までと何も変わらない母



大丈夫じゃん!と思っているのに

父は朝言ったことを昼には忘れるんだ

お金の管理ももうできない

服薬もオレが面倒みている



そうなんだ…


でも針仕事もしてたし

洗濯も食事の準備も

ちゃんとやってたじゃん…


話してもなにもおかしくない

LINEもまともなことが返ってくる



毎日一緒にいない私にはわからない

そんな不具合が日々起きている現実



様子を見に行っても、何か手伝おうと思っても


長年離れてしまった実家は勝手がわからず 


姪っ子たちの方がよほど役に立つという現実



ショックだった…


私の母なのに

こんなにも役に立たない


現実的に毎日行くことも不可能



何がしてあげられるのか?





私は、外に嫁いだ身…


弟もだから私には頼らずにやろうとしている





弟はシングルファザーで

3人の子供たちを育てている


お嫁さんが鬱を患い入退院を繰り返し

ある日、突然…

子供たちを置いて姿をくらました



探してもらい

だいたいの居場所はわかって

連絡もとれたみたいだったけど…



しばらくして協議離婚になった



子供たちはまだ高校生、中学生、

そして一番下は歳が離れていてまだ小学生


私の母が、姪甥の母親代わりになり

今日まで育ててきた…



とくに一番下の姪っ子は

毎日実家に帰り祖母と密に過ごした



そんな姪っ子もつい先日高校受験だった


中学生になったこと

一度学業のために家を出た姉が戻ってきたこと

いろんなことが重なり

実家に来ることが減り

母の仕事はなくなっていった


張り合いも、会話も減ったこと…


母が今のような状況になった原因のひとつかと

誰もが思っている




弟は一番下の姪っ子に話をした

父も一番下の姪っ子に話をした



祖母のために実家に顔をだしてあげてと




毎日ただいまと帰ってきた姪っ子

お腹が空いたら何かを作ってあげていた母

料理も洗濯も

たくさん、たくさん面倒見てくれていた 


ときには外部での部活のお迎えも母がした


正直色々めんどくさい父も

姪っ子の高校の送迎をしてあげたり


本当に実家あっての弟家族だったから



母がいてくれたからこそ

弟は子供たちを育ててくることができたと

誰が見てもそれが現実




人は歳をとる


いつかはそんなふうに

今までと違う日々が訪れる



わかっていたはずなのに

ショックだった…



父も母もいつまで2人で暮らしていけるのか



それは私が考えることでも決めることでもなく


嫁いだ私には夫の親もいるし



弟たちが決めること



それでも、何かできないのかなと

娘なのにと…



それは私の子供たちも同じで

小さい時はずっと実家に頼り

長期休みはずっと預けて

娘は実習の間も実家にお世話になり



母なくしては今はなかった



だから子供たちも

育ててもらった

愛してもらった

だから今度は返していく時だと

思っている




父も、記憶力はまともだし

運転も金銭管理も問題ないけど

病気はあるから…


そして母よりも年上だから…


いつまでも永遠に大丈夫なわけがないのだよね





こうしてみんな

生きているということは

歳を重ねていくということなんだなって


改めて実感した…





毎年、年が明けたらすぐに

母と私と子供たちと

歩いて、実家のところの神社に

元朝詣りに行くのが恒例になっていて



それは私が小さい時からずっと

母と私と昔は弟と

年が明けたら元朝詣りに行って

お振る舞いの甘酒を飲む

そして、破魔矢を買ってもらう

おみくじを引く

屋台で何かを買ってもらう




何十年もそうしてきた



ちなみに父は眠いのと寒いのとで

行ったためしがない

まあ、父はお酒も飲んでるしね



うちの夫も行きません!


なんていうか、母と子の集い的な

そんな行事になっていて



去年母と行ったときに

参拝待ちの間、どこかによりかかり

腰を伸ばしたりする母を見て

歳とったなぁ…と実感して


今年はもう、危ないから

明るくなってから

日中、暖かい時間に行こう!


そう決めて

初めて明るくなってから

母も一緒に歩いて初詣に出かけた



母の腕を取り

一緒にゆっくり歩いた


転んだりしないように


ゆっくりと母と歩いた




それを私の子供たちが見守って歩いてくれた





いつもの大好きな神社に

今年は何よりも、何よりも

母への思いを込めてお詣りした




あと何回、母と一緒に

こうして歩いてお詣りにこれるのだろう




今年のお振る舞いの甘酒

とっても出来が良くて

甘くておいしい甘酒だった


母のお好みの、アツアツの

あったかい甘酒が心に沁みた












こんな日々も

こんな想いも


生きていればこそ…




ありがたいことなんだよね




私と母の大切な年はじめのルーティン



私の子供たちにとっても

大切なルーティンになっている




ちゃんと、ちゃんと継いでいくからね



いつか娘と息子が我が家を巣立っても


きっと我が子たちは大切にしてくれる




ここ最近の娘は、毎年大晦日は勤務して

夜勤明けの元旦から2日に休みをもらい

元旦の夜勤明けの娘を、私と息子(弟)が

病院まで迎えに行き


その足で私の実家に帰り

母(祖母)と一緒に神社に行く



それを大切にできるようにシフトを希望して

短いお正月を過ごしてくれている




お詣りして、甘酒飲んで、破魔矢買って、

御守買って、御朱印もらって…


子供たちはクレープ買って、焼きそば買って、

私は恒例のわたあめを買う笑



そう、私はわたあめを持って

ルンルンで帰り道を歩く



今年もちゃんとお詣りしたねって

ほっとしながら…

1年をスタートさせるんだ






平凡な日々を

一生懸命生きていくこと…



私達ができること




それを繰り返して14年がたった



また1年、同じように

悩んだり、苦しんだり、泣いたりしながらも


笑って、笑って、笑って

いっぱい笑って

毎日を暮らすんだ




未来にもたくさんの

笑顔の花が咲くように



笑顔がずっと繋がって

ずっと、ずっと続いていくように




また今日から

一日一日を大切に

しっかりと

生きていこうと思う




3.11はそれを振り返り

心に改めて刻んで行く日




あの日生きられなかった

たくさんの命の分まで

しっかりと生きていこうと思います…


〜2025.1.1 巳年の朝 
娘を迎えに行く時に出会ったヘビみたいな雲〜


黙祷

2025.3.11  14:46




−MICKEY −