こんばんは
以前あるお友だちから、「スピリチュアルについて学んでいるのは、自分のハイヤーセルフやガイドさんに喜んでもらいたいからなの」と聞いて、その純粋な想いに感動したことがあります
私はひたすら好奇心からでしたからね〜
しかし、いろいろと学びを進めていくうちに、私の場合はそれどころではない感じになっていきました・・・
それは既にヘミシンクの共同探索の頃から始まっていましたが、私には根強い劣等感がありました
周りのみんなはいろいろ視えたりガイドさんと意思の疎通ができているのに、私には明確にこれができているということが何もない・・・
それは様々なセミナーやワークショップに参加しているうちにどんどん大きくなっていきました
しかし今振り返ってみると、それは当然のことだったように思います。
私は好奇心から楽しいイベントに参加していただけで、癒しを必要としている部分がたくさんありました
そして周りの人たちは、日々瞑想や内観をして常に自分と向き合っていたのです
そこでもっと先に進みたくなった私は、今まで目を向けていなかった自分の癒されていない部分に向き合わなくてはならなくなりました
もちろん劣等感だけでなくいろいろな、本当にいろいろな面が出てくるわけですが、ここでは都合により割愛させていただきます(笑)
その後多くを学んだ今では、その頃の私の周りにはたくさんのヒントが現れていたことが分かります
街で目にする不愉快なこと、会社で起きる理不尽なこと、身近な人に感じるネガティブな思い・・・
すべて自分の中にある種が統合を促すために引き寄せていたのだな〜と思います
それをカルマなどと言ったりもしますが、これは本当はネガティブなことではなく、魂がこの世で乗り越える経験をしたかったこと・・・
と、私は理解しています
昔の記事を読み返すと、自分が被害者のように書いたりしていて恥ずかしいな〜と思うこともありましたが、霊的な成長の過程ではよくあることですよね(笑)
この過程は私はとても長くかかりましたが(終わりはないのかな)、癒しが進めば進むほどセッションなどでお世話になった方たちの話も素直に聞けるようになり、自分の周りでもネガティブに感じることが次第に少なくなってきました
しかし実はここに辿り着くまでにもう一段階、人生最大の危機とも言える深い学びの時期が訪れていたのでした(← この絵文字結構好きかも・笑)
まだつづく・・・