今シーズンも雪が多い印象だな。
局地的に降り積もるせいか、温暖化の影響はどうなっているのか科学者に聞きたくなるね。
数年前、テレビ番組から里親制度について知ったんだよな。
我が家でも何かできないかと思い、とりあえず愛妻の名前で登録した。
登録条件の施設研修に参加した愛妻によると、子供たちを守るためのルールに従って、子供や職員は窮屈そうにしている印象だったと言っていた。
禁止事項が多いんだって。
子供の成長には、良いも悪いも自分の意思で経験することで他人の気持ちを含めて学んでいくものなのにね。
その後は、研修会の案内が郵便で定期的に届いていたけど、ルールに縛られることに抵抗があるので敬遠していた。
ところが、昨年10月末に児童相談所から突然、養育里親として対応できるかどうかの一報があった。
長年のホストファミリーとしての経験があったので、家族で相談し、数日後に快く引き受ける旨の回答をした。
初対面まで時間がかかったが、自宅訪問と夕食&宿泊、同伴での外出など一連の適正診断(?)が数週間置きに行われた。
担当職員は、ルールに従って本人の気持ちが少しずつ変わることを待った。
対象児童の生い立ちを聞くと、愛されたいのに愛してもらえない家庭の事情があり、実の親との少ない同居生活の中で受けた悲しみを抱えていた…。
小学生になっていることから、担当職員から3学期から転校させたいとの話し合いから、正式決定するものとして準備を進めていた(自覚を持つ程度)。
推測だけど、時間の経過に伴って実の家族への執着が強くなり、淡い同居への期待を捨てられなかったんだろう。
担当職員は、事を荒げるのを避け、一対一での話し合いで理解させたかったけど、本人の意思は変わらなかったようだ。
結局、彼女は専用施設で暮らし、家族の迎えを待つことを選択した。
決して迎えには来ないと、誰もが解っているのに…。
悲観する必要はないけど、彼女が親と向き合うのは当分先の事になりそうだ。
国が里親制度を強化したのは、家庭の温もりの中で成長することが本人の人間形成に重要だからというもの。
実の親の無責任さは論外としても、自分で判断できるとは思えない子供の意思を尊重し過ぎてはいないだろうか。
時間をかけて税金を使い、問題を先送りしているように思えるのは自分だけかな。
公金投資した挙句、道を踏み外されたら支出は膨らむだけ。
ちなみに、これまでかかった経費は自腹…。
何かがおかしい。
ルールを作るのはいいけど、本来の目的を忘れて取り締まる交通警察のように、窮屈で不自由な世の中になったよな。
決められたレールに乗っていれば安心と思わせる日本の教育にも問題があるんだろう。
きっと、画一的で従属的な人間を作ることが教育目的となっているに違いない。
働きバチ製造ラインに私たちは乗せられ、自分の行動を誰かに決めてもらうことに慣れさせる社会になっているんじゃないかな。
宗教団体みたいだね。信者は自分の頭で考えないよね。
とにかく、誰もが良いと信じた事を受け身でやるんだけど、上手くいかないと誰かを攻撃しては誤魔化してるんだよ。
でも、自分の発想を酷使して課題の解決に工夫することが大切なんじゃないかな。
そこに楽しみがあるんだと思う。
ビデオゲームの攻略に知恵を絞って望むのと同じだよね。
何度でもトライして、攻略方法を見つけた時は感動ものだ。
もっとも、工夫しようにもルールが邪魔するのかな。
ともかく、里親として経験する機会はなくなった。
少なくない税金を投資されて育つ子供たちに、社会から愛されていることを伝えたかったな。
全ての子供たちに幸あれ!
どんなに悲観的な状況でも、楽しめる人生を送って欲しい。
それは、楽しむことを選ぶだけで得られるんだから。