どっちもどっち
最近の発想が いちいち社畜ダメオヤジの私。専業主婦約10年と兼業主婦約15年と、主婦辞めた約3年を 経験して思うことがある。特に 主婦辞めて家のことを 全部夫に投げたことで気づきが増えた。特に印象深かったやつは家事をやってる妻の “あるある”で『夫の「手伝うよ」にイラっとする』というシーンに関してだ。私が 専業主婦のときは妻に協力的だった夫だったから(その頃すでに、妻より家事してたかも)苛つくことはなかったが、周りの夫たちの姿をみて、毒づいてた。「手伝う」ってなんだよ、と。確か。で、主婦辞めてからの今、家事をしている夫に対して自然に 私は 言うのである「なんか 手伝おうか?」と。夫は 世の妻たち同様 一瞬の間をおいて「んー、いい、座ってろ」と言う。イラッとしてらっしゃる。わかる。私も主婦だったからな。わかる。すべてに 言葉にならない想いがあることを。無言の『一瞬の間』にも スピード感みなぎる思考が働いているのも 読み取れる。(手伝う?ん?なんかあるかな?これを頼もうかな?やらせるとしたら あれとこれを説明しないとだな、あーでこーで…あーめんどくさい自分でやったほうが 早いわっ💢)ってなことを、思ってたりする。わかる。そして 山ほど 手伝ってもらいたいなんなら まるごと 丸投げしたい気持ちを抱えたまま ひとりでこなすことを 改めて選択させられるんだからそりゃ ムカつくわな。で、目の前に 動ける大人が呑気に テレビみて 笑ってたらそら ムカつく。わかる。しかし 「なんか 手伝おうか?」と聞く私の 「手伝おうか?」は偽らざる声なのだ。正直な声なのだ。なんなら 配慮と熟慮の結果の思いやり溢れた言葉かもしれん。家事をしている目の前のパートナーは 意志を持って すでに作業を遂行している。そんな時に 自分が 途中から何か できることはあるかな?と 様子を伺う。食事作り以外のことを 手伝うにしてもある程度 相手の指向やルーティンで出来上がってる空間ではやれることは 限られている。邪魔をしてはいけない。尊重しているからこそだ。そんな空間では 空間の主に訊ねるのが ベストとなる。「何か したらいいことある?」「何か 手伝おうか?」「手伝う」って言葉がぴったんこだ。だって 相手の空間なんだから。それ以上に何がある?ってんだ。日頃 何でも2人で 話し合って空間を作り上げてる夫婦ならその空間でも 自分の世界として受け止めどこに何があって どうできるみたいなルールみたいなことがわかっていればいちいち 相手に訊かなくても遂行できるし 問題にならない。だけど 日頃から「自分がやるから座ってて」と言ってなんにもさせない 導きもしないのにたまに 突然「自ら 率先してやらんのならやらんでいい」みたいな 顔するのはどうかと思うし 無理解すぎる。いつでも 社畜オヤジが悪いわけではないんだなー と痛感している。こちらが「手伝おうか?」と言った時の声かけ 反応 小芝居次第で 人は育つのだな と思った。育たないなら別々に暮らすまでだ。社畜オヤジの生活をしてみて思ったのは 社畜オヤジは どうしようもない奴くらいに思っていたが どうやら そうでもなくて半分くらいは 妻の対応力次第だなってこと。この 「妻の対応力」って 多分子どもにも おなじことしてるよね。