こんにちは
幸せ波動使いのみちりーなです
前回からの予定とは異なりますが、急遽内容を変更してブログにしたいと思い、投稿します。
我が家の裏庭にいてくれる木さんたち。
ここに引っ越してきて間もなくから一緒にいてくれているので、8年目ですね~🌳🌳🌳
最近の投稿でも書いている通り、私は昨年以来いままで全くできなかったこと、例えば宇宙高次元と繋がりヒーリング(エネルギー体の調整)とかちょっとしたチャネリング、リーディングとかが教わってないのに勝手にできるようになりました。
そのきっかけとなったのが脳幹セラピー。
ここでの出会いが私のステージを大きく上げてくれました
さてそんなわけで、今朝はちょっとした想いがあり、自宅裏のウッドデッキでぼんやり卵かけご飯を食しながら、木さんたちに語り掛けてみました。
み(ちりーな):あなたたちには「相手に期待する」なんてことある?
🌳(たち):なにそれ
み:なにそれって「期待」の意味?
🌳:うん
み:あー既に答えは出たね 認識できないものは存在してないよね、その人(木)の中では。
み:たとえば、誰かや何かに向かって、自分を満たすために「こうしてほしい」「ああなってほしい」と希望するというか、要求するというか、そんな感じかな。
🌳:(そういうの)ないよ
み:そうなんだね。じゃああなたたち自身が「こうなりたい」「あれをしたい」みたいなのは?
🌳:う~ん(←ちょっとニュアンスが違うというような反応)
み:これがほしい、あれがほしい?
🌳:それはある。光が欲しい、水が欲しい、栄養のある土がいい、他の木たちとのスペースが欲しい、みたいなのだね。
み:それを太陽とか身近な人たちなど外の対象に「自分たち🌳にください」と願ったり要求したりはないけど、自分たちはこれがほしいなあというIメッセージというか、ある意味自己完結のエネルギーを放っているって感じかな?
🌳:そうだね
み:いいなあ 私もそんな風に生きたい。相手はこういう時こう返してくれるだろうとか無意識に想定内と期待して、それが為されないと「え、なんで」みたいな戸惑いとか落胆とかムカッとすることがあって。
み:期待がなければ落胆もないもんね
🌳:
み:ああ、「落胆」も辞書にないかあ
み:そんなふうに私も生きられるかな~
🌳:うんできるよ
み:どうしたら? 半分冗談で訊いてみるけど、アファメーションとか?
🌳:なにそれ
み:
み:イメージする?
🌳:うんそうだねイメージは悪くないね。
あと意図して、そう決めて、そう生きればいいよ
み:なるほど~
そう言われればシンプルだけど、なかなか人間事情があって難しいんですよ
🌳:難しくないよ
み:そうなんだよね。難しいにしちゃってるから、難しくなるんだよね。 とはいえね~
...
この後、別のことについてもお話させてもらいました(退屈について)。またの機会に(忘れてなければ)書きます♪
人間社会においてこの「相手への期待」が、どんだけ私たちの心を一喜一憂させているか、
そんな私たちの複雑怪奇な人間模様にどこ吹く風で、ただそこにいる木々たちの在り様に、癒しと安らぎを覚えるわたしなのでした
相手に期待したり要求したりといった「求める」ことをまったくなくするのは人間として生きている以上無理かなと思うけれど、
いかに私たちの中で「これはこうあるべき」「こうしてくれるのが普通」というルールで相手も自分をも縛ってきているのか。
過去からのデータを引っ張ってきて誰かや何かと比較したり、そのデータと照合して相容れないものは拒絶するとか排除しようとするといった、小さな枠の中で生きているんだなぁって気づかされます。
自分は相手に期待してるんだなあ これはわたしが設定したルール(元は世間や親、学校等を通して刷り込まれたものであったとしても)なんだなあ、と気づいているだけでも意識に変化が起こるのではないでしょうか。
今ここ、この瞬間を、フレッシュな意識で100%生きる。
あなたの心にはどう届いたでしょうか
最後までお読みくださりありがとうございます。
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あなたにとってのよき週末をお過ごしくださいね