14年半ありがとう味噌子さん、またね。 | ゆーのとなりのタカラモノ

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趣味の料理やお菓子作りや裁縫や手作りもの。
我が家の姫(娘とチワワとパグ)ののんびりな毎日を載せていきます♪
↓2019.1/12現在↓
※娘の顔が分かる画像を削除している最中なので文章がおかしいところが多々です。
※チワワはお空へいきました。

味噌子さん

2014年10月6日午前6時40分他界致しました。

6時半頃ふと呼ばれたような気がして目が覚め胸を触ると小さく呼吸をしていたので胸に味噌子を抱きました。
抱いて1分程でもう一度胸を触ると動いていない。
味噌子はいってしまいました。
本当にあっという間にそして静かに。
最後まで手を掛けない本当に優しく気を遣う子でした。

14年と半年間いつもいつも側に居てくれました。

辛い時も楽しい時もいつもいつも一緒に居てくれました。

東京で二人暮らしから始まった私達。
人付き合いの苦手な私は時々疲れてしまってそんな時はいつも二人で旅行に行ったね。

沖縄で海を眺めてボーーーっとしたり
京都で船で川下りしたり
草津温泉で内風呂に入ったり
ただ普通に二人で公園やカフェや
他にもいっぱいいっぱい色々行ったね。
富士山にも登ったね。

きっと一人じゃ無いから味噌が居たから私は気分転換出来て仕事を頑張れたんだと思う。
味噌がいなかったらきっともっと早くに潰れていたと思う。

味噌は私の一番の理解者で友達でした。

泣いていると必ず側に居てくれたよね。
そんな子は他に居なかったよ。

本当に助けられました。

火葬も終わり小さな骨壷に入ってしまった味噌子さん。
なんだかまだ受け止められません。

こうして文字にすれば少しは受け止められるかと思って書いていますが
また貴女がドアをカリカリカリカリして私はウルサイッ!!!!!って怒りながらドアを開ける。そんなことが当たり前の様に繰り返される様な気がします。

もう、貴女は居ないのですね。

でも、ずっとこれからも一緒だと思います。
最後に私を起こしてくれてありがとう。
胸の中で腕の中でいってくれてありがとう。

起きて味噌が死んでいたらきっと私がなんで起きてなかったんだとか色々と後悔して後ろ向きになるのが分かっていたから起こしてくれたんだと思う。

母ちゃん、私はちゃんと生き抜いてちゃんと母ちゃんを守り腕の中でいってあげたんだからそれに恥じず母ちゃんも大切な物を守って人生を最後まで生き抜きなさい、そう言われた気がします。

ありがとう味噌子。ありがとう。

貴女は私の宝物です。
ありがとう、いくら感謝しても足りません。

味噌子を幸せに出来たかは分かりませんが私は味噌子と過ごしたこの14年半、味噌子がいたから乗り越えられたこと笑えたことたくさんで私は間違えなく味噌子のおかげで幸せでした。

また会えるときまで頑張ります。
もう一度、ありがとう。大好きです。