自動ドアが身の引き締まるような機械音を立てて開く。店内を見渡すと、先客が一人だけカット台に座っていた。待ち時間はゼロ。ほどよく回転しているこの空気感が心地いい。
「ちょうどええ」
心の中でそう呟きながら、千円札と小銭を券売機に吸い込ませる。
最近の僕は、自宅でバリカンを使って3ミリの坊主頭にすることが増えていた。床屋に行くのは、どこか億劫なのだ。かといって、節約が目的というわけでもない。カットにパーマ、カラーまで重ね、美容室で長い時間を過ごせるおしゃれな人々を見ると、その忍耐力に純粋な感心を覚えてしまう。丁寧すぎる接客も、どうでもいい世間話も苦手な僕にとって、長居を強いられる空間はそれだけで少し肩が凝るのだ。
そういう意味で、この格安カット店は僕にとって最高の隠れ家だった。
スマホの口コミサイトを開けば、この店の評判はすこぶる悪い。「店員が無愛想」「接客態度に問題あり」。千円ちょっとの価格設定で何をそこまで求めているのかと苦笑してしまうが、その悪評のおかげで店はいつ訪れても空いていた。誰もいないのも寂しいが、待ち時間なしでサクッと終わるスピード感は、何物にも代えがたい。
(……今日も、いないか)
案内された鏡の前に座りながら、僕はさりげなく店内を見回した。探しているのは、かつてここにいた「例の男」だ。
初めて彼に当たった日のことは、今でも鮮明に覚えている。昔のロック歌手を思わせる独特の風貌と、どこか人を不安にさせる尖ったオーラ。どんなセンスをしているのだろうと身構えながら、「ソフトモヒカンでお願いします」と告げた。
大抵の店なら「はいわかりました」と頷くところだが、彼は違った。僕が理想のイメージをあれこれ説明し始めると、ハサミを止めて鏡越しに僕をまっすぐ見据えてきた。
「それはソフトモヒカンじゃない」
低く、容赦のない声だった。客の注文に面と向かって反論してくるカット師など見たことがない。何だか申し訳ない気持ちになり、思わず狼狽した僕は言葉を撤回した。
「じゃあ……普通の刈り上げでお願いします」
すると彼は短く鼻を鳴らし、ようやく作業を開始した。ハサミの動きには一切の迷いがなかった。無愛想で不愛想、けれど耳を切られるような雑さは微塵もない。手際よくカットが終わり、手鏡で後頭部を見せられた時、僕は心の中で唸った。仕上がりは完璧だったのだ。職人肌の無口なロック歌手——それが彼の正体だった。
だが、ここ最近、彼の姿をまったく見かけなくなってしまった。
あの過剰なネットの風評に嫌気がさしてしまったのだろうか。それとも、もっと彼にふさわしい別の場所へ去っていったのだろうか。真相はわからない。ただ、静まり返ったカット台を見るたび、胸の奥に小さなポカリとした穴が空く。
目の前の店員に「刈り上げで」と短く注文を伝え、鏡に映る自分の頭を眺める。
次にまたどこかで、あのロック歌手のような男に会えたなら。その時は遠回りな説明なんて一切せず、まっすぐにこう頼もうと思っている。
「刈り上げで、お願いします」
そしてサクッと完璧に仕上げてもらった後、今度こそ大満足の顔をして、あの自動ドアをくぐり出ていきたいのだ。