豆さんのブログ パート2

豆さんのブログ パート2

訳あってブログの引っ越し
パート2ということで

自動ドアが身の引き締まるような機械音を立てて開く。店内を見渡すと、先客が一人だけカット台に座っていた。待ち時間はゼロ。ほどよく回転しているこの空気感が心地いい。


​「ちょうどええ」


​心の中でそう呟きながら、千円札と小銭を券売機に吸い込ませる。


​最近の僕は、自宅でバリカンを使って3ミリの坊主頭にすることが増えていた。床屋に行くのは、どこか億劫なのだ。かといって、節約が目的というわけでもない。カットにパーマ、カラーまで重ね、美容室で長い時間を過ごせるおしゃれな人々を見ると、その忍耐力に純粋な感心を覚えてしまう。丁寧すぎる接客も、どうでもいい世間話も苦手な僕にとって、長居を強いられる空間はそれだけで少し肩が凝るのだ。


​そういう意味で、この格安カット店は僕にとって最高の隠れ家だった。


​スマホの口コミサイトを開けば、この店の評判はすこぶる悪い。「店員が無愛想」「接客態度に問題あり」。千円ちょっとの価格設定で何をそこまで求めているのかと苦笑してしまうが、その悪評のおかげで店はいつ訪れても空いていた。誰もいないのも寂しいが、待ち時間なしでサクッと終わるスピード感は、何物にも代えがたい。


​(……今日も、いないか)


​案内された鏡の前に座りながら、僕はさりげなく店内を見回した。探しているのは、かつてここにいた「例の男」だ。


​初めて彼に当たった日のことは、今でも鮮明に覚えている。昔のロック歌手を思わせる独特の風貌と、どこか人を不安にさせる尖ったオーラ。どんなセンスをしているのだろうと身構えながら、「ソフトモヒカンでお願いします」と告げた。


​大抵の店なら「はいわかりました」と頷くところだが、彼は違った。僕が理想のイメージをあれこれ説明し始めると、ハサミを止めて鏡越しに僕をまっすぐ見据えてきた。


​「それはソフトモヒカンじゃない」


​低く、容赦のない声だった。客の注文に面と向かって反論してくるカット師など見たことがない。何だか申し訳ない気持ちになり、思わず狼狽した僕は言葉を撤回した。


​「じゃあ……普通の刈り上げでお願いします」


​すると彼は短く鼻を鳴らし、ようやく作業を開始した。ハサミの動きには一切の迷いがなかった。無愛想で不愛想、けれど耳を切られるような雑さは微塵もない。手際よくカットが終わり、手鏡で後頭部を見せられた時、僕は心の中で唸った。仕上がりは完璧だったのだ。職人肌の無口なロック歌手——それが彼の正体だった。


​だが、ここ最近、彼の姿をまったく見かけなくなってしまった。


​あの過剰なネットの風評に嫌気がさしてしまったのだろうか。それとも、もっと彼にふさわしい別の場所へ去っていったのだろうか。真相はわからない。ただ、静まり返ったカット台を見るたび、胸の奥に小さなポカリとした穴が空く。


​目の前の店員に「刈り上げで」と短く注文を伝え、鏡に映る自分の頭を眺める。


​次にまたどこかで、あのロック歌手のような男に会えたなら。その時は遠回りな説明なんて一切せず、まっすぐにこう頼もうと思っている。


​「刈り上げで、お願いします」


​そしてサクッと完璧に仕上げてもらった後、今度こそ大満足の顔をして、あの自動ドアをくぐり出ていきたいのだ。


幼少期、母は僕に読書習慣をつけさせようと、毎晩寝床の脇で紙芝居を読み聞かせてくれた。けれど、昔も今も作り話にはあまり興味が持てなかった僕は、紙芝居の向こうでいつも居眠りばかりしていたという。後になってそんな話を聞かされ、なるほどと苦笑した。

​小学生になると、「月に一冊、好きな本を買ってもいい」というルールができた。ただし、漫画や写真集、雑誌は不可。当時釣りに夢中だった僕は、魚の種類や釣り方が載った本ばかりを選んで読んでいた。
​そんなある日、海の生物の本をめくっていると、ひとりの青年のエピソードに目を奪われた。「ヨットで太平洋を横断するんだ!」と言い放ち、親の心配や猛反対を押し切って一人海へ飛び出した実在の人物——冒険家・堀江謙一さんである。
​強烈な興味を惹かれ、手にとったのが『太平洋ひとりぼっち』という航海日誌だった。「これなら、いくらでも読める」
夢中になってページをめくった。雑音の向こうからアメリカのラジオ放送が聞こえ始め、やがて視界にゴールデンゲートブリッジが姿を現し、到着を温かく歓迎される場面。さらに『世界一周ひとりぼっち』で描かれた、難所ホーン岬を通過するときの息をのむような緊張感。時には穏やかな凪に心を寄せ、時にはデッキへ飛んできたトビウオで大漁に喜ぶ——少年の心は、水平線の向こうへどこまでも踊った。
​そこからは貪るように航海記を読み漁った。マゼランの偉業、親子での世界一周、エリカ号の冒険、戸塚ヨットの卒業生による航海日誌……。小学生の頃の読書感想文は、いつだって堀江謙一さんの世界で埋め尽くされていた。
​最近になって自分が小説よりもエッセイを好むのも、あの頃から変わらない。「実際の体験談ほど、面白く胸を打つものはない」という実感が、僕の根底にあるからだ。
​時が流れ、家の書棚からはときめかない本たちが処分されていった。それでもなお、厳選された本たちが今もずらりと並んでいる。
​それなのに、あんなに僕の原点となった堀江謙一さんの本は、一体いつ手放してしまったのだろう。背表紙の消えた棚を見つめながら、あの風と潮の香りがするページを、もう一度めくりたくてたまらなくなっている。
静かな朝の部屋に、鉛筆が紙を擦るカサカサという音だけが響いていた。
​お盆の休暇を利用して、大阪と神戸を巡る旅に出た。昔からの癖で、旅を終えるといつも頭の中にある「写真集」を開き、一枚一枚ページをめくるように思い出を再生する。けれど今回の旅の残像は、どういうわけかいつもより少しだけエモーショナルで、胸の奥の深いところをかすかに揺さぶっていた。
​自宅に戻った翌朝、すっかり乱れていた英語学習の習慣を取り戻そうと、重い腰を上げて机に向かった。テキストを開き、集中が途切れかけた1時間を過ぎた頃、ふっと神戸の風景が鮮明に頭に浮かんだ。
​六甲山牧場で見かけた、眩しいほどの若いカップル。
歩き疲れてベンチで息をついていた僕の目の前で、彼らは楽しそうに写真を撮り合っていた。彼女の方はスラリとした立ち姿で、茶色のワンピースにショートボブがよく似合う、どこかサバサバとした雰囲気の魅力的な子だった。「若いって、やっぱりいいな」――その時はただ、そんな使い古された感想を心の中で呟いただけだったはずだった。
​けれど、勉強の合間にふと蘇ったその姿があまりにも印象的で、僕は衝動に駆られるようにして、解き終えた過去問の余白に鉛筆を走らせた。
​絵の心得など全くない。それでも、頭の中にあるあの瞬間の輝きをどうにか手残したくて、指先に力を込め、丁寧に、丁寧に線を重ねていく。
​――けれど、描けない。
​紙の上に現れたのは、僕の頭の中にあった生き生きとしたイメージとは似ても似つかない、ただの拙い線の塊だった。思い描いた通りに形にできないもどかしさが、不意に胸を突き刺す。
​情けない。本当に、情けない。
​一度決壊した感情は止めようがなく、頬を伝ってポロポロと過去問の紙を濡らした。
​なぜ僕は、いつまで経っても思い描いたものを形にできないのだろう。
二度と戻ることのできない過ぎ去った過去と、これから先も大きく変わることのない、少しずつ小さくなっていく未来。いつまで経っても形にならないイメージだけが、頭の中で虚しく漂っている。
​六甲山で見かけたあの一瞬の眩しさは、僕が置いてきてしまった時間と、これから手に入ることのないものを静かに突きつける鏡のようだった。
​中年のオジサンが一人、静まり返った朝の部屋で、自分の不甲斐なさに肩を震わせて嗚咽していた。涙で滲む過去問の淵を見つめながら、僕はただ、胸の奥に溢れる言葉にならない想いを噛みしめていた。