「なぁ、衣織」
「ん?」
キャンプ場の流し台で野菜を切っていると、紀雄が話しかけてきた。
「夏子の元カレで、八重歯の男って知ってる?」
紀雄の言葉に、衣織は手が止まった。
「…なに?」
紀雄に向けた衣織の目は、怖い。
「いや、この前、たまたま会ったんだけど、夏子の様子が変だったから。あ、ほんと会ったって言っても、十秒ぐらいの話だけどな」
紀雄はなぜか焦ってしまう。
「…そう」
衣織は、再び野菜を切り始めた。
「なに?どうゆう人なの?」
「しつこくしてきていないなら、大丈夫だよ」
「?」
そこに皿を持った夏子が来た。切った野菜を取りに来たのだ。
「何?何の話?」
「カズと会ったんだって?」
夏子の問いに、衣織が野菜を皿に乗せながら答える。
「あぁ………」
「その後、何も無い?」
「うん。大丈夫」
夏子の答えに、衣織は笑顔を見せた。夏子は、何か紀雄に言いたげだったが、野菜を持ってその場を離れた。
「紀雄は、夏子が好きなんだね」
さっきの怖い目と違い、衣織が残った紀雄に笑顔を向けた。紀雄は笑顔で否定したが、衣織の顔は変わらない。
「守ってあげて」
「え?」
「何が有ったかは、本人から聞いて。でも、次、カズが現れたら、近づけないで」
衣織の優しい笑顔に、紀雄は頷くしかなかった。最後の野菜を切り終わると、衣織達はみんなのところへ戻ってきた。テツと淳が火を点け、野菜や肉を乗せ始めた。
「ええ!?」
衣織がノンアルのビールを配っていると、夏子が驚きの声をあげた。隣には芽依子と祐輔がいる。
「なに?どうしたの?」
「この二人、付き合ってるんだって!」
「ええ!?」
みんなも驚く。芽依子達は照れくさそうに顔を赤くした。そのまま、お祝いの乾杯になり、バーベキューは楽しく過ぎていく。
「テツさんは、衣織の彼氏?」
紀雄が、こっそり夏子に確認する。
「ううん。彼氏じゃないよ。何って言われると…」
「保護者だね」
いつから近くに居たのか、テツ本人が混ざってきた。衣織は、芽依子達とマシュマロを焼いて、はしゃいでいる。
「まだ保護者なんだ」
夏子の言葉に、テツは苦笑する。
「捨てられそうで、いつもビクビクしてるよ」
そう言うと、テツは新しいビールを持って、衣織達の方へと戻っていった。
「夏子の好きな人って、あの人?」
紀雄の問いに、夏子は首を横に振った。
「あつっ!」
「だから、気をつけなって言ったじゃん!」
淳は溶けたマシュマロで、口の中を火傷したらしい。
「…あいつ、今、どんな気分なんだろうな?」
「テツの存在が、めちゃめちゃ気になってるんだろうね」
夏子と紀雄は、クスクス笑いながら、涙目の淳を見ている。
「何、見てんだよ」
視線を感じた淳を笑いながら、夏子達もマシュマロを食べ始めた。

それから、シャボン玉で遊んだり、キャッチボールやバドミントンをして楽しんだ。
時間はあっという間に過ぎ、帰りの準備が終わった時には真っ暗になっていた。
「じゃ、今日はありがとう!」
「待たな!」
皆、それぞれの帰路につく。ちょっと涼しくなった夜風が、楽しい夏の終わりを感じさせた。
「結局、返事はもらってないんだろ?」
紀雄の言葉に、淳は苦笑した。
「気長に待つさ」
淳は、最後のビールを飲むと、先に帰って行った。
「依織は、いいな。皆に愛されて」
「え?」
残った紀雄は、夏子の言葉に首を傾げた。
「夏子だって、みんなに好かれてるじゃん」
夏子の顔色は、曇っている。
「好きな人に好かれなきゃ意味ないよ」
「淳が好きなの?」
紀雄の言葉に、夏子は目を点にしたがすぐに苦笑いを見せた。
「違うよ」
「じゃあ、誰?」
紀雄は、一本だけ残っていた冷めた焼き鳥を口に運んだ。夏子は、追加で頼んでいたマッコリを店員から受け取る。
「昔の同期」
「会社の?」
夏子は、頷いた。
「依織も前の会社の同期なんだっけ?」
「そうだよ」
「依織は、その事知ってるの?」
「ううん。知らないと思うし、言う事は一生無いと思う」
紀雄は、ふーんと言いながらビールを飲んだ。
「新しい恋を探さないとな!」
「新しい恋か…しようとしたんだけどな」
「俺に?」
紀雄のふざけた顔に、夏子は大笑いした。
「あはははっ!違うよ」
紀雄も一緒に笑っている。
「そんな否定しなくたって良いだろう~傷つくな~」
「あはははっ!」
「夏?」
二人で笑っていると、近くに寄ってきた男性に声をかけられた。夏子は、その男を見ると笑顔が消えた。
「やっぱり夏か!元気?」
男性は、整った顔立ちで笑うと八重歯が見えた。
「今、デート中なの。あっち行って」
ひどく冷たい目をして、夏子はその男を見た。男は、焦った様子でじゃあとだけ言い離れていった。
「あいつ、誰?」
「元カレ」
空気は一気に冷めてしまい、二人も店をあとにした。


また日は経ち、三週間後の土曜日。
「久しぶり~」
バーベキュー会場に選んだキャンプ場に、依織が合流した。依織の後ろから、テツも荷物を持って現れた。
「おお!夏子!元気!?」
「あぁ!テツだ~!」
夏子とテツは、勢いよくバシッとハイタッチをした。
「え?怒らせちゃったんですか?」 
美子は驚いて華の顔を見た。華は、気まずい顔をしている。
「つい………」
人が言われたくない事を言われれば、どんな反応をするかなど分かりきっているのに。
「それで、どんな方だったのかは分かったんですか?」
「ええ」
あのランチの時、依織の守護霊は積極的に華に話しかけてきた。
「初めて見た時に感受性が強いだろうなと思ったけど、想像以上だった。それだけじゃなくやっぱり周りにくる人達を癒やす事の出来る人だったわ。たぶん、本人は気付いていないんだろうけど」
人を癒やす事が出来る人は、何度も耐えがたい辛い目に遭い、そこから得た強さでもある。依織の白いオーラは、いくつもの色が重なりあったオーラが輝いた物だった。
「彼女の未来は、見えましたか?」
見ようとした。けど、怒って出て行ってしまった。
「いくつか有ったんだけどね。でも、今のままだと…」
華は言葉を止めた。
「どうされました?」
美子は首を傾げたが、華は気付かない。依織の守護霊達の必死な顔が頭から離れない。どんどん険しい顔になっていく。
「先生?」
「なんとかしてもう一度会わなくちゃ」
華は、神棚に深々とお辞儀すると祈り始めた。

「バーベキュー?」
夏子は、ランニングマシンに乗りながら隣を走る男を見た。
「おぉ。みんなで久々に集まろうって話なんだけど、どう?」
紀雄は汗だくになりながら答えた。
「後でシフト確認してくる」
その隣を走る淳。
「私は、三週間後の土日なら空いてるよ」
「じゃ、とりあえずバーベキューはやるってことで」
夏子の言葉に、紀雄は楽しげにマシンから降りた。シャワーを浴び、外で三人は再び合流すると焼肉店へと入っていった。
「あぁーーー!うまいっ!!」
美味しそうにビールを飲む紀雄。淳は、肉を網に乗せていく。夏子の携帯がメッセージの受信を知らせる。
「あ、芽依子も来れるって」
「祐介も大丈夫だってさ」
日にちは三週間後の土曜日で決まった。
「依織は?」
「まだ返事無いね」
携帯を眺めていても、変化は無い。
「あれから、五年経ちます」
部屋は引っ越した。依織を退職させ、気持ちが落ち着いた頃、今の会社に依織を連れて行った。
「忘れたわけじゃない。でも…キズが消えたわけじゃない」
それまで、テツの膝で目をつむっていた依織が体を起こした。
「後ろに彼が居るって言われて驚いたわ」
どこかでそれを望んでたのね。と、依織は悲しげに笑ってみせた。
「彼の夢を見ていたのも、当たってたし」
五才ぐらいの男の子と手をつなぐ彼。楽しそうにこちらに笑顔を向けられ、彼らに手を伸ばすと、首を横に振られ、二人の背中が遠くなっていく。近づきたくても近づけない。離れたところから、彼らは笑顔で大きく手を振った。
「気にしていたからこそ、ビビっちゃった」
尚も苦笑いを見せる依織に、陽輝は何も言えなかった。陽輝は、二人と別れると、一人新幹線に乗った。
「………」
何か考え込みながら、窓を流れる景色を眺める。ため息を吐きながら、新幹線は依織達から離れていった。
「五年…か…」
部屋に帰った依織は、ベッドに横になった。
「ずいぶん経ったな…」
テツはベッド脇の床に座った。
「ごめんね」
テツの優しさに甘えている。テツに片思いしている女性にきっと恨まれるだろう。好意に答えないのに、自分の卑怯さに嫌気がさす。
「変わらなきゃね…」
夢に出てきた友也も変わる事を望んでいる。
「ムリに変わらなくて良い」
テツは優しく依織の手を握った。
「………今日はありがとう。もう大丈夫だから、帰って」
静かに手を放すと、依織は寂しい笑顔を見せた。
「眠るまでここにいるよ」
テツの優しい言葉に、依織は背を向けた。しばらくすると、スースーと寝息が聞こえてきた。顔を覗くと、また涙で顔が濡れ、髪の毛がくっついている。髪の毛を取り、顔を拭う。
「………変わらなくて良い。近くに居られるなら、このままで」
テツはそのまま、依織の横で眠りについてしまった。

「よぉ」
「おお」
いつか同窓会を開いた居酒屋。そこで陽輝を待っていたのは、誠人だった。
「この前、依織に会ってきたよ」
「そぅ。元気だった?」
「…あぁ…」
陽輝の顔は浮かない。誠人は首を傾げた。
「お前が離婚調停中だって言うつもりだったんだが…」
「おいおい」
陽輝の言葉に誠人は苦笑した。
「安心しろ。言ってない」
正しくは、言えなかった。
「依織への気持ちは忘れろ」
「俺は別に…」
否定しようとしたが、陽輝の目に嘘はつけない。口を止めた。
「良い人がそばに居たよ」
「会ったのか?」
「あぁ」
悲しい過去を共有する二人。付き合ってはいないと二人は否定したけど、五年の歳月は強い絆を形成したようだった。
「誰も立ち入れないよ」
「そうか。そんな良い人なら…うん。安心だな」
陽輝の表情を見て、誠人は何かが引っかかったが、言い聞かせるようにビールを一気に喉に流し込んだ。
「すみません」
「はい。いらっしゃいませ」
陽輝は依織の店に来ていた。依織の姿は無い。店長は接客中で、また店に来ていたテツが応対に出てきた。
「いらっしゃいませ」
「あ、すみません。客じゃないんです」
依織の事を伝えに来たと言うと、陽輝はテツを連れ店の外で話し始めた。
「俺、あいつと同じ中学の同級生なんですが、さっき依織と出くわした時、酷い顔していて」
陽輝の口調で、テツは深刻な顔をした。
「あいつ、道の真ん中で泣いていたんです。とても店に戻れそうにないので、このまま帰宅させたいのですが」
「今、うちの依織はどこに?」
「カラオケ店で待たせてます」
個室のある店と言ったら、そこしか思いつかなかったのだ。テツは、ちょっと待って。と、一度店に戻っていった。そして、しばらくすると依織の荷物と自分の荷物を持ってきた。
「本人に会わせてください」
陽輝は頷くと、テツを連れて近くのカラオケ店へと向かった。
「こちらです」
陽輝の開けた部屋には、依織が横になっていた。泣きはらした目が痛々しい。
「依織、起きろ」
テツに優しく揺らされ、依織は目蓋を少し開けた。
「少しは落ち着いた?」
陽輝の言葉に依織は静かに頷いた。
「ごめんね。二人とも。驚かせて」
「ホントだよ。出張から帰る前に、お前の顔でも見てこうと思ったら、泣いてんだもん」
「ごめん」
陽輝に謝る依織。テツも陽輝も、依織を挟むようにソファに座った。
「で、何が有ったんだ?」
テツは懐から煙草を出すと火をつけた。
「今日は、出先から直帰した事にしてやるんだ。ちゃんと話せ」
話しにくそうな依織に対し、テツははっきりと言った。依織は一息吐くと、やっと口を開いた。
「………変な占い師に会ったの」
依織は、有った事を全て話した。話終わると、泣きはしなかったがまた酷く疲れた顔をしている。テツは依織の頭を自分の膝へと乗せた。
「………」
陽輝も黙って聞いていたが、明らかにテツほど全ては理解出来ていなかった。テツに視線を上げると、目があった。
「陽輝さんには、過去に何が有ったか話してあるのか?」
依織は膝の上で首を横に振った。
「話しても良いか?」
今度は立てに頷いた。テツは、依織の頭をポンポンとする。それを合図に依織は目を閉じた。
「陽輝さん、今から話す事はこいつの暗い過去です。受け止められますか?」
陽輝は、テツの言葉に依織の顔を少し見た。そして、腹を決めたようすで頷いた。
「俺とこいつは、昔違う会社で同期でした。他にも同期の仲間は三人居たんですけど、そのうちの一人がこいつの恋人・友也でした」
陽輝はテツの説明を静かに聞いていた。
「二人は婚約していました。お互いの両親にも挨拶し、社内にも報告して。皆が二人を祝福していました」
幸せの絶頂だったあの日。
「でも、あいつは突然死んじまいました」
あの日、昼過ぎに気分が悪いと席を立った友也。トイレで冷たくなって倒れているところを発見された。一階下で働いていた依織は、慌てて上の階へと駆け上がってきた。
「友也!友也!友也!!!」
人だかりの中、泣きながら心臓マッサージをするテツ。
「……………」
依織は、目の前の光景を受け入れられない。震えながら、廊下の床に横になる彼氏のそばへフラフラと寄った。
「友…也…?」
白くなった恋人の顔。指が触れた瞬間、悲鳴に似た泣き声が響き渡った。
「いや!いや!友也!!友也!!!」
パニック状態で恋人にしがみつく依織。心臓マッサージをやめないテツ。二人とも、救急隊が現れ、周りにいた社員達に動きを封じ込められるまでそうしていた。
「まだ二十七でした」
テツに背を向けたままの依織の目からは、涙が静かに流れた。
「こいつが失ったのは、友也だけで終わらなかった」
当時、依織は妊娠していた。が、あまりのショックで子供は流れてしまった。恋人を失い、形見の子供も失い、依織は廃人のようになった。
「しばらく会社は休んだけど、それでも依織は少しずつ仕事をするようになりました」
空元気でも笑顔を見せて、頑張った。悲しい出来事を忘れるために。
「俺の転職先が決まったのは、その頃でした」
同期の仲間達もショックな出来事から逃げるように会社を辞めていった。一人会社に残ることになった依織。他の社員達は、依織の決断に賛成する者、面白く思わない者もいたが、依織は休ませてくれた会社に恩義も感じていた。だから、残って頑張る事にしたのだが。
「そんな依織に…」
テツは口を噤んだ。残った最後の仕事を終わらせ、一人暮らしの依織の家へ行った時だった。
「あれ?」
インターフォンを鳴らしても玄関が開かない。取っ手に手をやると、鍵が開いている。
ガシャーン!
奥の部屋から響いた音に驚き、靴のまま中へ飛び込んだ。
「依織!?」
部屋には、依織を押し倒し動けないように馬乗りになっている男が居た。依織は恐怖で声が出せずに涙で顔を濡らしていた。
「くっ!!」
テツは男に殴りかかった。テツは自分の頭に一気に血の気が登るのを感じながら、男を更に殴ろうと飛びかかった。
「待って!やめて!…やめて…」
震えながらテツを止める依織。
「出てけ…出てけ!!」
テツは男を睨み付けた。男は悔しそうな顔をして部屋から飛び出していった。
「あいつは誰だ?」
「営業でよく行く会社の社員…」
「なんでここに居たんだ?」
「分かんない。帰ってきた時は、誰も居なかったのに…突然現れたの…」
思い出しただけで震えが止まらない。
「後日、依織は社長に呼ばれた。呼ばれた内容は、その男からの告げ口だった。誘ってきたのは依織だと。依織一人で謝りに来いと言ってきたんだ」
会社では、依織は尻軽女と言うレッテルが貼られ、それまで優しかった人達まで冷たくなった。依織は、部屋に閉じこもった。
「依織!俺だ!開けてくれ!」
何度も部屋を訪ねた。合い鍵で扉は少し開いたが、チェーンがかかって全て開けられない。
「依織!頼む…開けてくれ…ここから出よう。依織が大丈夫になるまで…友也の代わりに守らせてくれ…そばに居させてくれ…」
テツの必死の願いは、チェーンを外した。