あの、恐ろしい夜から、
2週間が経ちました・・・。
いろんなことが、ありすぎて、
長いようで、あっという間の、
2週間でした。
両親は思ったより元気だし、
(もしかすると、ちょっとハイになってるかも・・・)
家も、想像していたよりは、
しっかり残っていたし。
父の実家が、全壊してしまったのは残念だけれど、
叔母さんと従姉はなんとか無事で、
叔母さんは札幌に身を寄せることになり、
既に旅立ちました。
仙台では、場所によって、
水やガスが開通したところもあるけれど、
妹たちの所は、まだ通じず、
今日は、旦那さんの実家の方に、
お世話になるようです。
母方の実家の方は、
さっぱり情報が無いけれど、
ばぁちゃんも、おじさんもおばさんも、従妹も、
みんな元気にやってるらしい。
母の実家は、堤防の傍の家だったので、
2階付近まで浸水したらしいけれど、
さすが、鉄骨3階建てw
建物はしっかり残ってるみたいだけど、
加工場の冷蔵庫が全部、ダメになってしまった。
これから、どうするんだろう・・・。
父は、船も養殖棚も漁の道具も番屋も、
全て、失ってしまった。
「もう、引退」・・・とは言っていたけれど、
こんな形で漁師を辞めることになるとは・・・。
父としては、非常に無念だと思います。
私も、もう二度と、父の育てた、
美味しいホタテやイワガキが、
食べられなくなるかと思うと、
残念でなりません。
でも・・・
他の、加工業者の人も、漁師さんも、
立場は同じなんですよね・・・。
素早く沖に船を出して、
津波を免れた船もありますが、
岩手県内1万数千隻の漁船のうち、
残った船が、400隻位しかないそうです・・・。
水産加工場の多くが、
被害の甚大な港や川の近くに多いので、
母の実家と同じように被害を受けた会社は、
かなりの数になると思われます。
これら全ての人に対して、
復興のための支援が受けられるのか・・・・・。
さらに、具合の悪いことに、
津波で、養殖施設は勿論のこと、
定置網も被害を受けただろうし、
海底からぐっちゃぐちゃにかき回されちゃったので、
ウニやあわび、海底に棲むお魚類(毛ガニやたこ)なども、
被害を受けていると思います。
残ってる船が出漁できるから・・・と言っても、
すぐに、お魚が獲れるとは思えないのです;;
岩手の綺麗な海が、酷いことになってしまい、
美味しいお魚が食べられるようになるのは、
何時になることやら・・・と思うと、
とても悲しくなります・・・。
(今思うと、去年の秋刀魚の不漁・鮭の不漁、
地震となんか関係あるのか~~~?って勘ぐっちゃうw)
津波被害にあったお家の場所に、
「もう住みたくない」と言っている方も、
少なくないそうです。。。
私も、一時、両親を盛岡に住まわせようかと、
真剣に考えました。
育ったお家は大好きだし、出来ればまた住みたいけれど、
これまで安全だと思っていた我が家が、
あんなことになったとなれば、
やはり、津波の被害など無い、
安全な所に住んで貰いたいです。
でも・・・両親は「また、住む」って言ってるし・・・
まだ、動けるし元気だから、とりあえず、
好きにさせてみようか・・・。
先日、連絡が取れた、スナックのマスター。
家の地区の辺りで津波にあい、
車をダメにしちゃったそうだwww
お店のことを聞いたら、
「まぁ、なんとかるべぇ~ しょうがねぇもん」って、
とにかく前向きwww
マスター・・・そろそろ、還暦近いんじゃなかったっけwww
お店開けるようになったら、飲みに行かないといけないなぁw
なんだか、両親も含めて、
何故か、地元の人達、前向きだw
なんとなく救われるけど、
これからのこと考えると、
私の脳みそ、爆発しそうな位、
面倒な事ばかりな気がする・・・・・。
復興に、これから何年かかるかわからないけれど、
地元が前のように、元気な街になってくれるといいなぁ・・・。
2週間が経ちました・・・。
いろんなことが、ありすぎて、
長いようで、あっという間の、
2週間でした。
両親は思ったより元気だし、
(もしかすると、ちょっとハイになってるかも・・・)
家も、想像していたよりは、
しっかり残っていたし。
父の実家が、全壊してしまったのは残念だけれど、
叔母さんと従姉はなんとか無事で、
叔母さんは札幌に身を寄せることになり、
既に旅立ちました。
仙台では、場所によって、
水やガスが開通したところもあるけれど、
妹たちの所は、まだ通じず、
今日は、旦那さんの実家の方に、
お世話になるようです。
母方の実家の方は、
さっぱり情報が無いけれど、
ばぁちゃんも、おじさんもおばさんも、従妹も、
みんな元気にやってるらしい。
母の実家は、堤防の傍の家だったので、
2階付近まで浸水したらしいけれど、
さすが、鉄骨3階建てw
建物はしっかり残ってるみたいだけど、
加工場の冷蔵庫が全部、ダメになってしまった。
これから、どうするんだろう・・・。
父は、船も養殖棚も漁の道具も番屋も、
全て、失ってしまった。
「もう、引退」・・・とは言っていたけれど、
こんな形で漁師を辞めることになるとは・・・。
父としては、非常に無念だと思います。
私も、もう二度と、父の育てた、
美味しいホタテやイワガキが、
食べられなくなるかと思うと、
残念でなりません。
でも・・・
他の、加工業者の人も、漁師さんも、
立場は同じなんですよね・・・。
素早く沖に船を出して、
津波を免れた船もありますが、
岩手県内1万数千隻の漁船のうち、
残った船が、400隻位しかないそうです・・・。
水産加工場の多くが、
被害の甚大な港や川の近くに多いので、
母の実家と同じように被害を受けた会社は、
かなりの数になると思われます。
これら全ての人に対して、
復興のための支援が受けられるのか・・・・・。
さらに、具合の悪いことに、
津波で、養殖施設は勿論のこと、
定置網も被害を受けただろうし、
海底からぐっちゃぐちゃにかき回されちゃったので、
ウニやあわび、海底に棲むお魚類(毛ガニやたこ)なども、
被害を受けていると思います。
残ってる船が出漁できるから・・・と言っても、
すぐに、お魚が獲れるとは思えないのです;;
岩手の綺麗な海が、酷いことになってしまい、
美味しいお魚が食べられるようになるのは、
何時になることやら・・・と思うと、
とても悲しくなります・・・。
(今思うと、去年の秋刀魚の不漁・鮭の不漁、
地震となんか関係あるのか~~~?って勘ぐっちゃうw)
津波被害にあったお家の場所に、
「もう住みたくない」と言っている方も、
少なくないそうです。。。
私も、一時、両親を盛岡に住まわせようかと、
真剣に考えました。
育ったお家は大好きだし、出来ればまた住みたいけれど、
これまで安全だと思っていた我が家が、
あんなことになったとなれば、
やはり、津波の被害など無い、
安全な所に住んで貰いたいです。
でも・・・両親は「また、住む」って言ってるし・・・
まだ、動けるし元気だから、とりあえず、
好きにさせてみようか・・・。
先日、連絡が取れた、スナックのマスター。
家の地区の辺りで津波にあい、
車をダメにしちゃったそうだwww
お店のことを聞いたら、
「まぁ、なんとかるべぇ~ しょうがねぇもん」って、
とにかく前向きwww
マスター・・・そろそろ、還暦近いんじゃなかったっけwww
お店開けるようになったら、飲みに行かないといけないなぁw
なんだか、両親も含めて、
何故か、地元の人達、前向きだw
なんとなく救われるけど、
これからのこと考えると、
私の脳みそ、爆発しそうな位、
面倒な事ばかりな気がする・・・・・。
復興に、これから何年かかるかわからないけれど、
地元が前のように、元気な街になってくれるといいなぁ・・・。