1992年2月に中国が尖閣諸島(沖縄県)を自国領とする「領海法」を定めた際、外務省が天皇訪中交渉を優先するため、政治問題化を回避するよう動いていたことが20日に公開された外交文書で明らかになった自民党内の反発を受け苦悩を深めた宮沢喜一首相は、最終的に決断するまで約半年間、 逡巡した

日中両国は前年から、日中国交正常化20周年の92年内に天皇陛下(現在の上皇さま)の訪中を実現させるため調整していた。そのさなかの同年2月、中国は全国人民代表大会(全人代=国会)で突如、「領海法」を制定した。

同法制定は日本国内の反発を招き、自民党内からも訪中への慎重論が噴出した。金丸信副総裁は「訪中は中国と島(尖閣諸島)の問題を詰めてからだ」と、同省幹部に強くクギを刺した。

 一方、この問題が天皇訪中実現の支障となることを懸念した同省は、水面下の働きかけを強めた。橋本 恕(ひろし) 駐中国大使は3月、 江沢民(ジアンズォーミン )・中国共産党総書記に直接、両国の国民感情を刺激しないよう要望渡辺美智雄外相も4月、銭其チン外相と都内で秘密裏に会談し、訪中前後に「冷却期間」を設けるよう提案した。

 「冷却期間」に、同省幹部は自民党重鎮らの根回しにも奔走した党内の反発と中国の訪中要請の板挟みにあった宮沢氏は、橋本氏に「国民の間に亀裂が生じるような形にしたくない」と漏らし、同省に党側の説得も行うよう指示していた

 結果的に、天皇訪中は同年10月に実現した。ただ、中国は訪中交渉の 間隙かんげき を縫うように制定した領海法を根拠に、2008年12月に公船を尖閣諸島の領海内に侵入させて以来、領海侵入を常態化させている。(後略)

(私の感想)
これ、天安門事件後で世界中から総スカンを食らって困っていた支那を助ける為に、
日本の外務省害務省が「天皇訪中」を推し進めたってことですよねΣ(・∀・;)

しかも、それを調整している最中に「尖閣諸島は支那の領土」だと決める法律(領海法)を支那が作ったのに、
それでも「天皇訪中」を進めたんですね(´゚д゚`)

あと、この時代は宮沢内閣で、今よりも人数がずっと多い「大宏池会」だったんですよね?(~_~メ)

自民党内の反発を受け苦悩を深めた宮沢喜一首相は、最終的に決断するまで約半年間、 逡巡した
この箇所が、今の岸田とそっくりな対応ですよね(# ゚Д゚)

結局、害務省に推されて、宮沢さんは天皇訪中を決定するんですが、
この動きを見ると、宮沢さんは政治的にはノン・ポリシー…Σ(´∀`;)
周りの人の中で、一番強く意見を言ってきた人の方に靡いただけなんですよね(;・∀・)

つまり、特に「媚中」という訳でない…
自分の考えなんて、一切ない…
その場しのぎで、強く意見を言う人に流されて、政策を決定する…
この点も、岸田はそっくりです(・ω・A;)
宏池会に政権とらせたら、日本が滅びますよ(; ・`ω・´)


ところで、害務省の水面下の働きかけをした人物として、
橋本 恕(ひろし) 駐中国大使の名前があがってますが…
注目すべきは、この人だけではない様です(・ω・A;)


小和田ひさしさんは、皇后陛下のお父さんですよね(´゚д゚`)
ソーカ系の大鳳(おおとり)会という派閥のトップだったみたいですし…Σ(´∀`;)
徹底的な媚中だったことは、間違いないでしょうね┐( ̄ヘ ̄)┌