(私の感想)
新元号、素敵ですね( ̄▽ ̄)b
「令」を「命令の令だからおかしい」と言っている政治家がいるらしいですが…( ̄▽ ̄;)
「令」=人がひざまずいて神意を聞く という意味だそうです(*´ー`*)即ち、新元号は、人が神意である「和」を神から承っているという意味ですね( ´∀`)b
もう一度原点に返って、日本の国体である「和」を国民が守っていかなければなりませんね(´∇`)
日本では古来から天皇を中心とした国造りをしていて、それを一文字で表すと「和」になるでしょう。そして、それは庶民にまで浸透していて、自己主張するよりも他者や周りのことを考える国民性になっています。(良い意味でも、悪い意味でも。)
これは日本では当たり前のことですが、外国にはない価値観だと思います。
王政の頃のヨーロッパ社会では、上司の上司は上司ではないそうで、つまり直接契約した上司だけが上司なんだそうです(;゜∇゜)
これはどういうことかと言えば、例えば戦国時代のような時代で、大名同士の揉め事が拗れた場合、将軍や天皇が仲介をして止めに入るということが日本では当たり前ですが、ヨーロッパ社会ではそれが出来なかったということです。
即ち、揉め事はどんどんややこしくなって、当事者同士で決着がつくまで、被害が大きくなっていくということです(;゜∇゜)
「権威」を持つ存在がない(若しくは、権威そのものの威力が小さい)というのは、非常に纏まりにくいですよね(ー_ー;)
一応、ローマ教皇が神聖ローマ皇帝を任命するんですが、ローマ皇帝自体が形骸化していきますから、その任命権があったとしても大きな影響力はないですよね(; ̄ー ̄A
日本では、時の権力者であっても天皇を敬いましたし、天皇に諭されれば折れることもしばしばでした。「権威しかないくせに、やかましいわ!」と武力で排除する(殺す)ことも出来たはずですが、それでは人心がついて来ないですよね。国民は納得しないでしょう(;´∀`)
天皇は歯止めであり、国民をまとめる要だったんですね(*´ω`*)
やはり、聖徳太子以来、こういった「和」の精神が根付いているんですよ( ̄▽ ̄)b
しかし、「和」というのは悪い側面もあって、揉め事を起こしたくないがために、組織内の問題を表面化させないでズルズルと現状維持させるという問題点もあります。
そうであったとしても、逆にみんなが各々我を通そうとしたらどうなるでしょう?
最初は「纏まりにくいなあ…」くらいに言っていたものが、「(皆勝手なこと言ってるし)どうせなら、人を騙してもいいから出し抜いてやろう」などと、人々はどんどん利己的な方向に進んでいくでしょう。最後には弱肉強食の世の中になります。
日本人がマナーが良く、道徳心があるという評価を外国人からして貰えるのは、やはり、我を押さえて周りの人を気遣うことが出来るからでしょう。その根本は「和」の精神だと思います(^^)d
天皇を中心に、公家や武家も含めた国民が我を押さえて「和」の精神を大事にしてきたから、今の日本があるんです。日本人はそういった歴史を積み重ねてきたんです。
新元号はこの「和」の精神を日本人に再認識させるものだと思います( ̄ー ̄)b




