中国四千年の歴史なる言葉は、
そもそもが、三皇五帝(さんこうごてい)なる支那の神話伝説時代の帝王からきている言葉です。

三皇は神、五帝は聖人で、それらは支那の伝説の時代である「夏」の時代
(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)よりも古い時代の皇帝だというのだけれど、

これも大載礼記、史記、戦国策、易経、礼記、淮南子、世経、三統経、資治通鑑外記などで、
誰が皇帝であり、誰が帝王だったのかすら、全部言い分が異なっています

 
炎帝(姜王)などは、礼記と准南子に登場するけれど、体が人間で、
顔は牛だったというから、そもそも人類であったかどうかすら疑わしい。

要するに、これらは単なる神話とされ、いまでは、その実在は誰も認めていません

三皇五帝のあとにくる「夏王朝」にしても、いまからちょうど四千年あたり前から470年続いき、
その後「殷」に滅ぼされたとされているけれど、これも、その実在性がかなり疑わしいとされている。

 
結局支那で考古学的にはっきりとその存在が証明されているのは、
「殷王朝」で、これは、紀元前17世紀頃から紀元前1046年の王朝です。遺跡もある

そして遺跡があるおかげで、
この時代の殷王朝を形成した人々が、
いまの漢民族とは、まるで異なる遺伝子を持った別な民族であったということが立証されてしまっています。 


時代が下って、西暦220年頃の三国志に登場する関羽とか張飛とかのを見ると、
関羽は、髭(ひげ)の長い巨漢、張飛は、ずんぐりむっくりの巨漢です。 

遺伝的特徴からしたら、髭(ひげ)の薄い漢民族の特徴というよりも、
関羽あたりは北欧系のノルウェーの海賊(バルカン民族)の特徴をよく備えているし、
張飛の遺伝的特徴も、漢民族的特徴はまったくなくて、
どうみても、北欧系のドワーフです。

関羽や張飛の姿は北欧系のコーカソイド
の遺伝的特徴そのものである 

そしてこの時代の人骨からは、先に述べたとおり、
明らかにヨーロッパ系の遺伝子を持った遺伝子・・・
漢民族とは異なる遺伝子を持った人骨・・・が発見されています。 

 
さらに時代をさかのぼると、支那の文明の始祖として、20世紀前半に黄河文明の仰韶(ヤンシャオ)遺跡が発掘されました。
仰韶遺跡は、紀元前5000年から同3000年まで続いた文化です。 

遺跡からは、彩文土器、竪穴住居、磨製石斧などが出土し、彼らが粟などの栽培や、豚や犬の飼育、鹿などの狩猟を行っていて、竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用していたことは、明らかになっています。 

しかし、そこで発見された彩陶土器は、西アジア、中央アジアから伝来したものです。

つまり、どうやら工具的にも、ここの文化を構築した人たちは、東洋系の人種ではなく、コーカソイド系の人たちだったようです。漢民族的特徴を示す物は、残念ながら発見されていません

  ▲コーカソイド系の人々


これに対し、黄河文明よりも、もっと古い遺跡として発見されたのが、長江文明です。

これは紀元前6000年~紀元前5000年ごろのもので、河姆渡(かぼと)遺跡などからは、
大量の稲モミなどの稲作の痕跡と、高床式住宅、玉器や漆器が発見されています

▲ 河姆渡(かぼと)遺跡

栽培されていた稲は、ジャポニカ種です。 

どういうわけかジャポニカ米の原産地は、長江中流域などとされ、
日本の稲作の起源が、支那の長江流域などと「決め付け」られているけれど、

ジャポニカ種の米の栽培(稲作)に関しては、
日本の岡山県の彦崎遺跡と朝寝鼻遺跡が縄文前期(紀元前6000年前)のものなどがあり

もしかすると成立年代的に、日本で始まった水田灌漑技術と、
稲が、支那にわたって長江文明を形成した可能性も否定できません。 

要するに、
いまから約8000年前に、日本には稲作文化があり、
7000年前には、支那の長江流域に、日本と同じ稲作を営む集団がいたということです。

そして、長江文明を営んでいた人骨は、明らかにモンゴロイド系の特徴を持っています

  
そのモンゴロイド系の遺伝子を持つ長江文明を形成した人々は、
その後西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えたコーカソイド系の人々によって滅ぼされてしまいます。 

で、できたのが黄河文明です。 

おそらくは、狩猟民族と農耕民族の違い、
すなわち武器文化と非武器文化の違いで、武力に勝るコーカドイドが勝利した

ただ、流れてきた人々よりも、農耕によって食を賄い、
古くから住んでいた人々の方が、人口的には多かったであろうことが想像され、
人口に勝るモンゴロイドが、軍事的政治的文化的には敗者となったけれど、
結果として遺伝子的には黄河文明の人々をしのいだ

それで漢民族が「黄色」になったとみることができます


おもしろいのは、男から男に引き継がれるY遺伝子は、ほぼ完全に黄色人種の特徴を示すのに対し、
女性から女性にだけ引き継がれるミトコンドリアの遺伝子には、コーカソイド系の特徴をそのまま残している、ということです。

つまり、戦い好きなコーカソイド系の男たちは、軍事的に結局は死に絶え、
その遺伝子は女性から女性にのみ引き継がれた(ミトコンドリア遺伝子)という姿が見えてきます

 
ふつうに考えればわかることですが、狩猟族というのは、獲物を追ってどこまででも遠くへ移動する。
土地に定着する必要がないのです。 


コーカソイドが、古代に日本に来たというお話もあります。

スサノオのヤマタのオロチ退治の伝説です。 

古事記などでは、ヤマタのオロチは、八本の尾がある大蛇とされていますが、
飛騨の阿礼家に伝わる伝承では、ヤマタのオロチは、八人のオロシャなのだそうで、
おそらくは、漂流してきたコーカソイド系の男たちであったのであろうかと思われます。

彼らは、山に巣食って、村を襲い、村の娘たちを拉致していた。
そこをたまたま通りがかったスサノオが、オロシャ人に酒を飲ませて、酔いつぶれたところを退治した。 

日本は、島国だったので、8人程度の移民で済んだのでしょうが、大陸ではそうはいきません。
大挙して押し寄せて、村の娘たちや食糧を根こそぎ奪っていった。
で、出来たのが黄河文明だったと考えられるわけです。

 
いづれにしても、黄河文明を形成した人々と、いまの支那人たちとは、
血統はどっかつながっていようかと思いますが、
彼らが、中国四千年の歴史と称する歴史は、王朝が変わるたびに、
ことごとく前王朝の民族抹殺、大量虐殺を繰り返してきたものであり、
わるいけれど自慢できるような平和の歴史とはほど遠い。

さらにいえば、いまある支那共産党の中華人民共和国などは、
まさに中国共産党王朝ともいうべきものでしかありません。 
 
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