「また戻ってきてほしい」―。
自衛隊初の「戦地」派遣先となったイラク南部サマワでは、道路補修など2年半にわたる人道復興支援活動に住民らが今も感謝を示す一方、撤退後に日本との関係が希薄になったとの不満も募らせていた。地元の医師は「技術指導が足りない」とさらなる支援の必要性を訴えた。

▽平和な場所

首都バグダッドから車を走らせ4時間、南南東に約250km離れたムサンナ州の州都サマワに入った。至る所で検問所や小銃を持った兵士を見掛けるバグダッドとは対照的に、サマワの市場では人々がゆっくりと行き交い、のどかな雰囲気だ。陸自はここに2004年1月から06年7月まで駐留した。

市中心部から約15kmの砂漠に設営された自衛隊宿営地付近は現在、イラク軍情報機関の拠点となり、一般人は立ち入れない。宿営地は、陸自駐留中には度重なる砲撃を受けたが、地元当局者は「サマワはイラクで最も平和で安全な場所になった」と胸を張った。

▽自衛隊撤退後、全てが止まった

日本との結び付きが弱まったと指摘するのは、医療や経済の関係者らだ。州投資委員会によると、日本企業によるサマワへの投資は行われておらず、同委員会幹部のサファ・ファダル氏は「せっかく素晴らしい関係を築いたのに、自衛隊の撤退後は全てが止まってしまった。中国やマレーシアの企業は投資してくれるのだが…」と不満顔だ。

駐留当時は、住民の過熱気味の期待に応えきれず批判されることもあったが、レストラン従業員リヤド・サイームさん(24)は「自衛隊はよくやってくれたという印象しかない」と断言。「戻ってきて、イラクのためにまた一緒に汗を流してほしい」と訴えた。(サマワ共同)



陸上自衛隊が整備した橋の近くで遊んでいたハイダー・エサン君(13)は、「日本がいろんな物を造ってくれたのは知っている。この橋は、おじいちゃんの家に行くのに毎日通るよ」と笑顔。若い世代にも陸自の活動内容は広く伝わっている =6日、イラク南部サマワ(共同)



イラク南部サマワの教育病院にある、日本の支援で整備された医療機器。日本の文部科学省の奨学金により山梨大で06年から5年間、放射線科の技術を学んだ医師アリ・ムヒさん(35)は「自衛隊の医療支援が終わってから時間がたち、機器は残っていても使いこなせる者がいなくなった。もっと多くの若い医師や技術者を日本で勉強させてほしい」と要望する =6日(共同)