次に紹介するのは実際の戦いの場面であるが、日本軍の追撃におされて、退却しようとする中国兵に味方の兵が銃を撃つ場面である。

「退却部隊はひっきりなしに、ざっ、ざっ、ざっ・・・・と走っている。終いになる程、ただ色でない顔つきになってくる。みんな必死の顔だ。服装までが裂けたり、泥だの血だので汚れ返っている。しかも、追撃に移った敵軍[日本軍]の銃砲聲が、猛烈に、手に取るように近々と聞こえ出してきた。本来ならここらで一旦退却体制を整備して、反撃に移らなければならないのだ。…
が、この死にもの狂いの見方の軍隊の顔つきを見ると、それは到底不可能だと諦めに到達する[もう一回日本軍と戦うことはとてもできないという意味]。…こうなっては自然に任すより他はないのだ。…
要するに、彼も…一緒に走るより他ない。だから彼は走った。走っていると、より一層早く走らなければならないという気持ちに駆り立てられる。…
町に近づくにつれ、異様な光景が眼につき出した。仲間の退却軍であろう。あちこちに屍骸をさらしているのだ[味方から撃たれて、死体の山ができている]。自分が肘をやられたと同じく、味方から発砲されて、やられたものに違いない。
退却部隊は、町の入口近くで急に右に曲がって、町の北側の方向に延々と続いて走っている。おかしいぞ------と思っているうちに、彼はその曲がり角のところに来た。そして見た。
急拵えの鉄条網が町の入口を塞いでいるのである[町の中に入れないようにしてある]。そして、その背後に武装した兵士がずらっと、機関銃の銃口とともに、自らの方向を睨んで立っている。しかも、そのすぐ前には、堂々と塹壕の掘削工事が始められている。…」(同上書 p.171-173)

要するに、兵士が簡単に退却することがないように、町の入口に鉄条網を張って町に入れないようにして、退却しようとする兵士は味方の中国兵によって銃殺されていたのである。
ちなみに、主人公の陳子明氏は鉄条網の向こう側にうまくもぐりこんで命を拾ったのだそうだ。

この本の中に何度か出てくるのだが、中国軍には前線の後方にいて自軍の兵士を監視し、命令無しに勝手に戦闘から退却(敵前逃亡)したり、降伏するような行動をとれば自軍兵士に攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った「督戦隊(とくせんたい)」という部隊が存在した。この督戦隊に殺された中国兵士が日中戦争では少なくなかったのである。

次のサイトは中国語のサイトであるが、
「在中日8年戰爭中的中國軍督戰隊是使中國軍隊死亡數目最多的原因之一。」
と書かれている。
日中戦争で多数の中国軍兵士が死亡した最大の原因のひとつがこの督戦隊によるものであるという意味のようだ。
http://www.buddhanet.idv.tw/aspboard/dispbbs.asp?boardID=12&ID=27094&page=7


『南京事件』では、南京の城門のところに多数の中国人の死体があったことが、多くの日本兵士によって目撃されており、日本軍との戦争で死亡した兵士よりも、自軍の督戦隊に射殺された兵士の方が多かったと多くの人が指摘している。司令官が「死守」と言えば、兵隊は文字通り死ぬまで戦わされていたのである。


南京城にいた蒋介石総統は12月7日に南京を脱出し重慶へ逃げた。その後を任された唐生智(とうせいち)防衛司令長官は12月11日に全軍に「各隊各個に包囲を突破して、目的地に集結せよ」と指令しておきながら、12日の夜に南京の守備を放り出して逃げてしまった。その時に兵は逃げられないようにトーチカの床に鎖で足を縛りつけ、長江への逃げ道になる南京城の邑江門には督戦隊を置いていったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%94%BB%E7%95%A5%E6%88%A6

指揮官がいなくなってしまって軍紀が乱れ、多くの中国軍は民衆に暴行を加え衣服を奪い取り軍服を脱ぎ捨てて、一般人になりすまして逃亡したといわれているが、『敗走千里』に記されている中国兵の実態を知らずしては、「南京大虐殺」の本質を見誤ることにならないか。

『敗走千里』という本の内容は決してフィクションではない。陳登元氏が体験した戦いの場所は異なるかもしれないが、中国軍の本質は南京事件においても同じで、当時の別の記録や外国の新聞記事などからもその裏付けをとることが出来る。