(前項の続きです)

CIAは、パキスタンの軍内部の情報機関(ISI)を使って、ムジャヒディン(イスラム教によって強固な結びつきを持った民兵)に軍事訓練を行う際に重要な役割を果たした。

そうして徐々に、CIAが後援するゲリラへの軍事訓練は、イスラム教の教えへと統合されていったのである。




●1985年3月に、レーガン大統領は※NSDD166(National Security Decision Directive)に署名した。

NSDD166に署名したことによって、これまで秘密裏に行われてきたムジャヒディンへの軍事援助がより高度化し、それが公式に認可されることになった。

同時にそれは、秘密のアフガニスタン戦争が、新しい目的を持ったことを公に明確にした瞬間だった。
つまり、秘密工作によって、アフガニスタンのソビエト軍を撃破し、アフガンからの撤退を迫るものだったのだ。

(※ 1985.03.27のレーガンのNSDD166署名:
それまで米のアフガン介入は、パキスタンの情報機関・ISIを仲介にCIAが行っていたが、National Security Decision Directive =NSDD 166/国家安全保障決定指導書166号の発効により、直接支援が可能になった。
また,支援内容も徐々に高度化・大規模化した。-Chronological Tableより転載)。

まず手始めに行われたのは、米軍によるゲリラへの膨大な量の武器援助だった。
重量にして、毎年6万5千トンという量の武器がゲリラ側に提供され、それは1987年まで続けられた。

パキスタンのラワルピンディ近くにあるパキスタンのSIS秘密本部を訪れるCIAとペンタゴンの専門家たちが、引きも切らなかったのだ。

CIAの専門家たちは、そこでパキンスタの情報将校たちと会って、アフガンの反逆者たちを掃討するための作戦を立案する手助けをしていたのである。(Steve Coll, ワシントンポスト, 1992年7月19日)




イナメナスの天然ガス施設のテロを実行したイスラム教徒(覆面旅団という名前が付けられている)の背後で、この計画を立てたモフタール・ベルモフタールは、AQIMの創設者の一人である。


モフタール・ベルモフタールは、アフガニスタンで軍事訓練を受け、CIAにリクルートされた男である。

彼もまた、「アフガン・アラブ」と呼ばれる北アフリカの住民ボランティアで、アフガニスタンのアルカイダの兵卒として戦うために、19歳でムジャヒディンとして入隊した。

この頃は、CIAとパキスタンの秘密情報機関(SIS)が、戦士の募集と軍事訓練において、積極的にジハード戦士を支援していたときだ。

モフタール・ベルモフタールは、アフガニスタンの「内戦」で戦った後、1993年にアルジェリアへ戻り、※「布教と聖戦の為のサラフ主義集団(GSPC)」に参加した。

(※管理人注:
「布教と聖戦の為のサラフ主義集団(GSPC)」とは、西欧に取り込まれるアルジェリア政府に対して断固これを拒否し、現在でもイスラム原理主義を貫き通している過激派。

今回の天然ガス施設のテロは、モフタール・ベルモフタールが創設者の一人となっているAQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織)が起こしたものですが、この組織の起源が「布教と聖戦の為のサラフ主義集団(GSPC)」に発しているため、AQIMもまたGSPCと同様に、国際テロ組織・アルカイダに忠誠を誓っているのではないか、ということから「アルカイダ系」とか、「アルカイダと深いつながりがある」と言われるようになった)

ベルモフタールがアフガニスタンへ深く関与したという、これまでの経歴を見れば、彼がアメリカに支援された「情報的に有用な人物、つまり西側と情報のやり取りをするエージェント」に他ならないことを示している。