【中国で処刑は娯楽】

1990年代

中国の死刑囚連行。武装警察の制服から1990年代初頭の撮影と見られる。これは裁判所か留置所から集団処刑の刑場に連行される時に建物の前でやはり黒山の人だかり。老若男女、子供も見ている事から見物しているのは一般民衆。 (博訊新聞) [e]


2001年

雲南省昆明市のスタジアムで2001年に行われた「厳打」キャンペーンの一環と見られる公開処刑パレード。アムネスティによればこの様子は政府番組で生中継をされたとの事。後ろ手に縛られ首から札を下げている事からこの人物は死刑囚。 (網易論壇への投稿/China Digital Times) [f]


2009年


2009年1月15日、山東省龍口市公安局と市法院が行った公捕公判大会。1000人余りの群衆が見物に訪れた。2006年以降中国で公判大会は行われていなかったようだが、北京オリンピックが済んで再開された模様。中国では現代でも公判大会は普通の行事である。 (膠東在線)


 刀が銃になったという点を除けば、市中引き回しに打ち首という風習は100年前と変わっていないようである。

 清朝時代の習慣はそのまま支那事変の時代に引き継がれ、それが文革の時代にも生き続け、現代の処刑方法にしても特殊銃弾で頭部を粉砕するという、殺害目的そのものには必然性のない儀式めいた方法で死刑を行うのは斬首の伝統の名残とも考えられる。

 中国人が死体損壊にこだわるのは古代より行われている歴史的なものであるが、それが日本人に対して行われたのが支那事変の時代の通州事件や大山中尉殺害事件、近藤二等兵殺害事件などで殺害後の死体にも執拗に破壊行為を行った例である。
 風水や儒教の影響で中国では死体を冒涜する事は故人の来世まで破壊出来ると信じられているのだという。
 こういった現代に至るまで行なわれている見せしめや死体損壊に対するこだわりというものは、やはり文化や伝統は一続きに受け継がれて来たものなのである。