●「カルマは忘れたころに実を結ぶ」
「天災は忘れたころにやってくる」ということわざがあります。天災を「人類のカルマの表出」と考えれば、「カルマは忘れたころに実を結ぶ」と言い換えることができます。
仏教によれば、私たちのこの人生は前世のカルマが実を結んだものとされていますので、前世でつくった「よくない身・口・意」がカルマとなって、新しい人生において好ましくない出来事として実を結んでいると言えるのです。
しかしながら、私がここで問題にしているのは、そのように人生全般に影響を与えるような大きなカルマのことではなく、日常的に私たちの身に降りかかる嬉しくない出来事――たとえば、病気や事故、仕事の行き詰まり、人間関係のもつれ、などの「一見不運と思われるような出来事」のことを指しています。
どんな人でも、人生がいつも順風満帆とはいえないことは実感しておられるはずです。目指した学校の入学試験に合格しなかったとか、希望した会社に就職することができなかったといったことから始まり、親に反対されたため好きな異性と結ばれなかったり、好きな異性と結ばれて幸せな家庭を築いたのに、配偶者が大病を患って経済的に破綻するとか、子供が非行に走って家庭が崩壊するといった形で、予期せぬ不幸な出来事に見舞われ、必ずしも幸せな人生ばかりとはいえないのがこの世の現実です。
このように、一見「運が悪かった」と思うような出来事が身の回りに起こるとき、人は不安な気持ちに駆られ、「どうすれば運が良くなるのか」と占い師や霊能者の門を叩くことになります。それは無理もないことだとは思いますが、私たちがこの人生においてできるだけ楽な道、無難な道を歩こうと考えるのは、「どうせ1回限りの人生だから、楽しく過ごさなければ損だ」という考えが心の片隅にあるからではないでしょうか。
仏教が教えているように、「この人生の生き方が、生まれ変わった次の人生の内容を左右する」とわかっていたら、人生の過ごし方も変わってくるはずです。仏教では、人は死後の霊界において、生前の行為の報いを受けるということを教えているのですが、「人間は死んだら終わり」と考える人は、そのような教えに耳を傾けることはありません。
人生で大切なことは、しっかりお金を稼いで、好きなものを買ったり、行きたいところに旅行したり、美味しいものを食べたりすることだと考えている人にとっては、死後の世界や生まれ変わった次の人生のことなど気にもならないのでしょう。
最近のスピリチュアル・ブームによって、死後の世界の存在を多くの人が認識するようになりましたが、残念ながら私が「カルマの法則」と呼んでいる「原因と結果の法則」(仏教でいう「因果応報の理」)にまで考えが及んでいる人はまだ少ないように思われます。
☆ ★ ☆
本題に戻ります。「カルマは忘れたころに実を結ぶ」のはなぜかということですが、これについては前回ご紹介したのコンノケンイチ氏の『般若心経は知っていた』(徳間書店)の中にその答えが述べられていました。その部分をもう一度抜粋してみます。
【イギリスの著名な神経生理学者W・グレイ・ウォルター博士も、次のように述べている。
「電気的な装置で調べたところでは、人間は意志の力だけで外界の現象に影響を与えることができるが、極めて特殊な精神の集中(表層意識のコントロール)を必要とし、大脳の興奮と弛緩という逆説的な混合状態を必要とする」】
――『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ著/徳間書店)
ここで注目していただきたいのは「人間は外界の現象に影響を与えることができるが、精神の集中を必要とし、大脳の興奮と弛緩という状態を必要とする」という内容です。
空海のような超能力者は例外として、普通の人は無意識(潜在意識)をコントロールすることはできませんが、それでも誰もが身・口・意によって無意識(潜在意識)に影響を与えているのです。つまり、「空(波動)」で満たされた宇宙に向かってボールを投げ続けているということです。
そして、黒いボールを投げれば黒いボール、白いボールを投げれば白いボールが、やがて異次元からこの世界に投げ返されてくる、というのがカルマの法則でした。まさにブーメランのように返ってくるのです。しかも、自分が投げたボールのことを忘れたころに、それは返ってくることになります。
有名なマーフィーの法則は、人の意識を「顕在意識」と「超意識」に分けて説明していますが、私たちの願望を実現するためには「超意識」にその願望を刻む必要があると述べています。(『マーフィー・成功者がこっそり使っている超意識の力』光輝・著/きこ書房)
注目したいのは、マーフィー博士は「超意識に暗示を刻みこむためには、顕在意識の活動レベルを切り下げて、顕在意識の妨害がない状態にすること」と述べていることです。その理由として、「超意識と顕在意識とは同時に活発な活動を行なうことはできない」と説明しています。そして、このことを「顕在意識と超意識は競合関係にある」と表現しています。
念のために少し解説をしておきますと、顕在意識とは私たちが認識できるもので、「ふだん頭で考えていること」と思っていただいたらよいと思います。それに対して超意識とは、私たちが認識することのできない潜在意識のことで、ユングのいう無意識、つまり個人的無意識と集合的無意識(人類意識)を包含したものです。
マーフィー博士は、この超意識に刻まれた暗示によって私たちの運命が左右されると言っています。ですから、「超意識によい暗示を刻むためにどうすればよいか」ということを教えているのが、いわゆるマーフィーの法則なのです。
マーフィーの法則では、超意識にどのような暗示を刻むかをコントロールするのが顕在意識であると述べています。「顕在意識が信じたことだけが超意識に刻まれる」と言っているのです。私たちは日常的にさまざまな情報の嵐にさらされていますが、多くの情報の中から自分が信じるものだけを潜在意識の中に刻みこんでいると言います。
そして、ここが大切なポイントなのですが、この顕在意識と超意識は競合関係にあって、同時に活発な活動を行なうことはできないようにできているのです。そのことをマーフィー博士は、「顕在意識が眠っている間に、潜在意識は表面化する」と表現しています。
「顕在意識が眠っている」状態は、すなわち「忘れている」状態のことを言っています。私たちが自分の願望を思い続けたあと、そのことをすっかり忘れた状態になったときにそれは実現する(潜在意識が表面化する)ことになるのです。
「天災は忘れたころにやってくる」のは、人々の潜在意識に刻まれた「恐怖心」が、やがてそのことを忘れてしまったころに表面化することを表しています。「恐怖心」は「願望」とは正反対の内容ですが、心の作用としては同じ意味を持つのです。「願望」も「恐怖心」も、私たちがその実現を信じることによって実現するからです。
たとえば、多くの人が「大きな地震が起こるかも知れない」と恐れていますと、その「恐怖心」は、波動でできたこの宇宙に刻まれ、やがてブーメランのようにこの世界に戻ってきて実現することになるのです。しかも、それが地震という形で実現するのは、多くの人が地震への恐怖心をなくしたとき、すなわち顕在意識が働かなくなったときなのです。マーフィー博士は、そのときに初めて潜在意識が活発化すると教えているのです。
☆ ★ ☆
さて、先ほど引用した内容と照らし合わせて考えてみましょう。
【人間は意志の力だけで外界の現象に影響を与えることができるが、極めて特殊な精神の集中(表層意識のコントロール)を必要とし、大脳の興奮と弛緩という逆説的な混合状態を必要とする。】
――『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ著/徳間書店)
ここでは顕在意識のことを表層意識と表現していますが、要するに、外界の現象に影響を与えるためには顕在意識をコントロールする必要があり、しかも、「大脳の興奮と弛緩という混合状態」が必要だと述べています。
わかりやすく説明しますと、「大脳の興奮状態」とは、私たちが一つのことを強く願い続けている状態、あるいは地震などの発生を常に恐れている状態、のことです。そして「大脳の弛緩状態」とは、そのような願望や恐怖心をすっかり忘れてしまって意識しなくなった状態のことを表しています。
つまり、私たちがボールを投げ続けているときはそのボールは返ってきませんが、投げるのをやめてしまったときに、投げたボールがまとめて返ってくる、ということを言っているのです。
昔の人が「天災は忘れたころにやってくる」と考えたのには、ちゃんとした宇宙の法則の裏づけがあったのです。そして、そのような法則と同じ意味で「カルマは忘れたころに実を結ぶ」という法則が成り立つのです。
しかも、この顕在意識と超意識をつなぐ働きをしているのが、私たちの「脳」だと言っています。そういう意味では、脳の働きを研究することによって、この世界で起こることがコントロールできると考えるのは自然なことでしょう。
以前話題になった「マトリックス」という映画は、まさに私たちの脳が仮想現実を作り上げているという内容でした。脳は私たちの意識をコントロールするすごい力を持っているということです。
先ほどの譬えで言いますと、私たちは、肉体的には脳の機能を使って、ボールを異次元に向かって投げているのです。また、そのボールが投げ返されるときも脳の機能が使われることになります。脳は異次元とこの世界を結ぶ出入り口となっているからです。
映画「マトリックス」のように、私たちが五感を通じて体験しているこの現実(と思っている)世界は、すべて脳によって知覚されているわけですから、脳が目の前の現実(物質や現象)をつくり出していると言ってもよいのです。般若心経もそのことを述べていることは前回説明したとおりです。
しかしながら、私たちの脳は何者かによって封印されていて、全体機能の数パーセントしか使われていないというのが、最近の科学的知見によって明らかにされつつあります。私たちの脳には、もともと五感で認識できる以上の世界を感知する機能が備わっているのに、なぜかその機能が発揮できないように封印されているというのです。
犬などの動物は、視覚や嗅覚においては人間以上の感知能力を持っていることが知られています。何も見えない空間に向かって吠えたりするのは、異次元の存在を感知しているためと見られているのです。
人間でも、赤ちゃんなどは空間を見て笑ったりしますが、まだ五感が発達していないため、超意識が働きやすい状態にあるのでしょう。大人になるにつれて、この世で必要とされる感覚が発達し、それと引き換えに人間が本来持っている脳の機能が封印されていくものと考えられます。
コンノ氏の本にも紹介されていましたが、新約聖書には、そのことがちゃんと述べられていました。もう一度、前回の内容を引用しますので、ご覧ください。
【密教がいう、人間それぞれの内に隠されている「衆生秘密」を活性化させるには、まず表層意識(五感機能)によって遮蔽されている「深層無意識」を表層に浮かび出させることである。
逆にいえば、人間の現実感を培っている感覚器(五感機能)こそが、超能力やESP現象の発現(仏教でいう実相世界の感得)を妨げる大きな要因になっていることがわかる。
聖書も、同じ意味のことを述べている。
「神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで」(ローマ人への手紙 第11章8節)
この聖書の言葉は驚くべきことを示唆している。人間の脳機能の大部分は、何者かの意図によって全面使用が禁じられている、というのである。】
――『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ著/徳間書店)
脳の話はまだまだ奥が深いのですが、ここではこのくらいで終わりにしたいと思います。 今日の結論は、「カルマは忘れたころに実を結ぶ」ということでした。しかしながら、時間のスピードがますます速くなっているなかでは、一つのカルマの表出に目を奪われますと、それまで気になっていたことも忘れてしまいますから、今度はそのカルマが表面化してくるということになります。
たとえば、地震の発生を恐れていた人たちが、あるとき株が大暴落したためにそのことに心を奪われて、地震のことなどすっかり忘れてしまったとします。すると、宇宙の法則どおり、恐れていた地震が現象として表面化することになるのです。今の世の中の動きを見ていますと、まさに過去のカルマが次々と形を変えて表面化していますので、多くの人は新しいカルマの表出に翻弄されて、常に関心や恐怖心の対象を入れ替えている状態にあると思われます。カルマはますます表面化しやすくなっているのです。
(転載終了)
長い文章なのでまとめます(*^.^*)
[願望を実現させるために必要なこと]
①一つのことを強く願い続けている状態、「大脳の興奮状態」を作り、超意識によい暗示を刻む。
(顕在意識が信じたことだけが超意識に刻まれるため。)
②そのことをすっかり忘れた状態になる。
「大脳の弛緩状態」願望をすっかり忘れてしまって意識しなくなった状態になる。
③顕在意識が働かなくなったとき、それは実現する。
(潜在意識が表面化する)
『私たちがボールを投げ続けているときはそのボールは返ってきませんが、投げるのをやめてしまったときに、投げたボールがまとめて返ってくる』
というのは、恐いですね(((゜д゜;)))
そのボールが「希望」のボールならいいですが、
大概の人は心配ばかりしていますから、
すっかり「心配」しつくした後に、それが返ってくる!\(゜□゜)/
その結果、また心配する…
この悪循環を繰返しているんじゃないでしょうか??
その悪循環を避けるためにも、
「何があっても大丈夫!!」と、
アホか気違いかと思われるほど、
「現状肯定」をし続けなければいけませんヽ(*'0'*)ツ
周りは笑わせておけばいいんです(b^-゜)
そのベースが無ければ、
①を実践しても、あまり意味がないでしょうね(*゚ー゚)ゞ
そして、未来に向かって、
「希望」のボールを投げ続けましょう(*^o^*)/~
(「現状肯定」さえ出来れば、自然と上手に投げられるようになるでしょうけどね。)
ボールにも数に限りがあるでしょうから、
投げきってしまえば、すっかり忘れるでしょう(*^-^)b
だから、本当は何一つ、心配しなくて良かったんですよねヾ(@^▽^@)ノ
「天災は忘れたころにやってくる」ということわざがあります。天災を「人類のカルマの表出」と考えれば、「カルマは忘れたころに実を結ぶ」と言い換えることができます。
仏教によれば、私たちのこの人生は前世のカルマが実を結んだものとされていますので、前世でつくった「よくない身・口・意」がカルマとなって、新しい人生において好ましくない出来事として実を結んでいると言えるのです。
しかしながら、私がここで問題にしているのは、そのように人生全般に影響を与えるような大きなカルマのことではなく、日常的に私たちの身に降りかかる嬉しくない出来事――たとえば、病気や事故、仕事の行き詰まり、人間関係のもつれ、などの「一見不運と思われるような出来事」のことを指しています。
どんな人でも、人生がいつも順風満帆とはいえないことは実感しておられるはずです。目指した学校の入学試験に合格しなかったとか、希望した会社に就職することができなかったといったことから始まり、親に反対されたため好きな異性と結ばれなかったり、好きな異性と結ばれて幸せな家庭を築いたのに、配偶者が大病を患って経済的に破綻するとか、子供が非行に走って家庭が崩壊するといった形で、予期せぬ不幸な出来事に見舞われ、必ずしも幸せな人生ばかりとはいえないのがこの世の現実です。
このように、一見「運が悪かった」と思うような出来事が身の回りに起こるとき、人は不安な気持ちに駆られ、「どうすれば運が良くなるのか」と占い師や霊能者の門を叩くことになります。それは無理もないことだとは思いますが、私たちがこの人生においてできるだけ楽な道、無難な道を歩こうと考えるのは、「どうせ1回限りの人生だから、楽しく過ごさなければ損だ」という考えが心の片隅にあるからではないでしょうか。
仏教が教えているように、「この人生の生き方が、生まれ変わった次の人生の内容を左右する」とわかっていたら、人生の過ごし方も変わってくるはずです。仏教では、人は死後の霊界において、生前の行為の報いを受けるということを教えているのですが、「人間は死んだら終わり」と考える人は、そのような教えに耳を傾けることはありません。
人生で大切なことは、しっかりお金を稼いで、好きなものを買ったり、行きたいところに旅行したり、美味しいものを食べたりすることだと考えている人にとっては、死後の世界や生まれ変わった次の人生のことなど気にもならないのでしょう。
最近のスピリチュアル・ブームによって、死後の世界の存在を多くの人が認識するようになりましたが、残念ながら私が「カルマの法則」と呼んでいる「原因と結果の法則」(仏教でいう「因果応報の理」)にまで考えが及んでいる人はまだ少ないように思われます。
☆ ★ ☆
本題に戻ります。「カルマは忘れたころに実を結ぶ」のはなぜかということですが、これについては前回ご紹介したのコンノケンイチ氏の『般若心経は知っていた』(徳間書店)の中にその答えが述べられていました。その部分をもう一度抜粋してみます。
【イギリスの著名な神経生理学者W・グレイ・ウォルター博士も、次のように述べている。
「電気的な装置で調べたところでは、人間は意志の力だけで外界の現象に影響を与えることができるが、極めて特殊な精神の集中(表層意識のコントロール)を必要とし、大脳の興奮と弛緩という逆説的な混合状態を必要とする」】
――『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ著/徳間書店)
ここで注目していただきたいのは「人間は外界の現象に影響を与えることができるが、精神の集中を必要とし、大脳の興奮と弛緩という状態を必要とする」という内容です。
空海のような超能力者は例外として、普通の人は無意識(潜在意識)をコントロールすることはできませんが、それでも誰もが身・口・意によって無意識(潜在意識)に影響を与えているのです。つまり、「空(波動)」で満たされた宇宙に向かってボールを投げ続けているということです。
そして、黒いボールを投げれば黒いボール、白いボールを投げれば白いボールが、やがて異次元からこの世界に投げ返されてくる、というのがカルマの法則でした。まさにブーメランのように返ってくるのです。しかも、自分が投げたボールのことを忘れたころに、それは返ってくることになります。
有名なマーフィーの法則は、人の意識を「顕在意識」と「超意識」に分けて説明していますが、私たちの願望を実現するためには「超意識」にその願望を刻む必要があると述べています。(『マーフィー・成功者がこっそり使っている超意識の力』光輝・著/きこ書房)
注目したいのは、マーフィー博士は「超意識に暗示を刻みこむためには、顕在意識の活動レベルを切り下げて、顕在意識の妨害がない状態にすること」と述べていることです。その理由として、「超意識と顕在意識とは同時に活発な活動を行なうことはできない」と説明しています。そして、このことを「顕在意識と超意識は競合関係にある」と表現しています。
念のために少し解説をしておきますと、顕在意識とは私たちが認識できるもので、「ふだん頭で考えていること」と思っていただいたらよいと思います。それに対して超意識とは、私たちが認識することのできない潜在意識のことで、ユングのいう無意識、つまり個人的無意識と集合的無意識(人類意識)を包含したものです。
マーフィー博士は、この超意識に刻まれた暗示によって私たちの運命が左右されると言っています。ですから、「超意識によい暗示を刻むためにどうすればよいか」ということを教えているのが、いわゆるマーフィーの法則なのです。
マーフィーの法則では、超意識にどのような暗示を刻むかをコントロールするのが顕在意識であると述べています。「顕在意識が信じたことだけが超意識に刻まれる」と言っているのです。私たちは日常的にさまざまな情報の嵐にさらされていますが、多くの情報の中から自分が信じるものだけを潜在意識の中に刻みこんでいると言います。
そして、ここが大切なポイントなのですが、この顕在意識と超意識は競合関係にあって、同時に活発な活動を行なうことはできないようにできているのです。そのことをマーフィー博士は、「顕在意識が眠っている間に、潜在意識は表面化する」と表現しています。
「顕在意識が眠っている」状態は、すなわち「忘れている」状態のことを言っています。私たちが自分の願望を思い続けたあと、そのことをすっかり忘れた状態になったときにそれは実現する(潜在意識が表面化する)ことになるのです。
「天災は忘れたころにやってくる」のは、人々の潜在意識に刻まれた「恐怖心」が、やがてそのことを忘れてしまったころに表面化することを表しています。「恐怖心」は「願望」とは正反対の内容ですが、心の作用としては同じ意味を持つのです。「願望」も「恐怖心」も、私たちがその実現を信じることによって実現するからです。
たとえば、多くの人が「大きな地震が起こるかも知れない」と恐れていますと、その「恐怖心」は、波動でできたこの宇宙に刻まれ、やがてブーメランのようにこの世界に戻ってきて実現することになるのです。しかも、それが地震という形で実現するのは、多くの人が地震への恐怖心をなくしたとき、すなわち顕在意識が働かなくなったときなのです。マーフィー博士は、そのときに初めて潜在意識が活発化すると教えているのです。
☆ ★ ☆
さて、先ほど引用した内容と照らし合わせて考えてみましょう。
【人間は意志の力だけで外界の現象に影響を与えることができるが、極めて特殊な精神の集中(表層意識のコントロール)を必要とし、大脳の興奮と弛緩という逆説的な混合状態を必要とする。】
――『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ著/徳間書店)
ここでは顕在意識のことを表層意識と表現していますが、要するに、外界の現象に影響を与えるためには顕在意識をコントロールする必要があり、しかも、「大脳の興奮と弛緩という混合状態」が必要だと述べています。
わかりやすく説明しますと、「大脳の興奮状態」とは、私たちが一つのことを強く願い続けている状態、あるいは地震などの発生を常に恐れている状態、のことです。そして「大脳の弛緩状態」とは、そのような願望や恐怖心をすっかり忘れてしまって意識しなくなった状態のことを表しています。
つまり、私たちがボールを投げ続けているときはそのボールは返ってきませんが、投げるのをやめてしまったときに、投げたボールがまとめて返ってくる、ということを言っているのです。
昔の人が「天災は忘れたころにやってくる」と考えたのには、ちゃんとした宇宙の法則の裏づけがあったのです。そして、そのような法則と同じ意味で「カルマは忘れたころに実を結ぶ」という法則が成り立つのです。
しかも、この顕在意識と超意識をつなぐ働きをしているのが、私たちの「脳」だと言っています。そういう意味では、脳の働きを研究することによって、この世界で起こることがコントロールできると考えるのは自然なことでしょう。
以前話題になった「マトリックス」という映画は、まさに私たちの脳が仮想現実を作り上げているという内容でした。脳は私たちの意識をコントロールするすごい力を持っているということです。
先ほどの譬えで言いますと、私たちは、肉体的には脳の機能を使って、ボールを異次元に向かって投げているのです。また、そのボールが投げ返されるときも脳の機能が使われることになります。脳は異次元とこの世界を結ぶ出入り口となっているからです。
映画「マトリックス」のように、私たちが五感を通じて体験しているこの現実(と思っている)世界は、すべて脳によって知覚されているわけですから、脳が目の前の現実(物質や現象)をつくり出していると言ってもよいのです。般若心経もそのことを述べていることは前回説明したとおりです。
しかしながら、私たちの脳は何者かによって封印されていて、全体機能の数パーセントしか使われていないというのが、最近の科学的知見によって明らかにされつつあります。私たちの脳には、もともと五感で認識できる以上の世界を感知する機能が備わっているのに、なぜかその機能が発揮できないように封印されているというのです。
犬などの動物は、視覚や嗅覚においては人間以上の感知能力を持っていることが知られています。何も見えない空間に向かって吠えたりするのは、異次元の存在を感知しているためと見られているのです。
人間でも、赤ちゃんなどは空間を見て笑ったりしますが、まだ五感が発達していないため、超意識が働きやすい状態にあるのでしょう。大人になるにつれて、この世で必要とされる感覚が発達し、それと引き換えに人間が本来持っている脳の機能が封印されていくものと考えられます。
コンノ氏の本にも紹介されていましたが、新約聖書には、そのことがちゃんと述べられていました。もう一度、前回の内容を引用しますので、ご覧ください。
【密教がいう、人間それぞれの内に隠されている「衆生秘密」を活性化させるには、まず表層意識(五感機能)によって遮蔽されている「深層無意識」を表層に浮かび出させることである。
逆にいえば、人間の現実感を培っている感覚器(五感機能)こそが、超能力やESP現象の発現(仏教でいう実相世界の感得)を妨げる大きな要因になっていることがわかる。
聖書も、同じ意味のことを述べている。
「神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで」(ローマ人への手紙 第11章8節)
この聖書の言葉は驚くべきことを示唆している。人間の脳機能の大部分は、何者かの意図によって全面使用が禁じられている、というのである。】
――『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ著/徳間書店)
脳の話はまだまだ奥が深いのですが、ここではこのくらいで終わりにしたいと思います。 今日の結論は、「カルマは忘れたころに実を結ぶ」ということでした。しかしながら、時間のスピードがますます速くなっているなかでは、一つのカルマの表出に目を奪われますと、それまで気になっていたことも忘れてしまいますから、今度はそのカルマが表面化してくるということになります。
たとえば、地震の発生を恐れていた人たちが、あるとき株が大暴落したためにそのことに心を奪われて、地震のことなどすっかり忘れてしまったとします。すると、宇宙の法則どおり、恐れていた地震が現象として表面化することになるのです。今の世の中の動きを見ていますと、まさに過去のカルマが次々と形を変えて表面化していますので、多くの人は新しいカルマの表出に翻弄されて、常に関心や恐怖心の対象を入れ替えている状態にあると思われます。カルマはますます表面化しやすくなっているのです。
(転載終了)
長い文章なのでまとめます(*^.^*)
[願望を実現させるために必要なこと]
①一つのことを強く願い続けている状態、「大脳の興奮状態」を作り、超意識によい暗示を刻む。
(顕在意識が信じたことだけが超意識に刻まれるため。)
②そのことをすっかり忘れた状態になる。
「大脳の弛緩状態」願望をすっかり忘れてしまって意識しなくなった状態になる。
③顕在意識が働かなくなったとき、それは実現する。
(潜在意識が表面化する)
『私たちがボールを投げ続けているときはそのボールは返ってきませんが、投げるのをやめてしまったときに、投げたボールがまとめて返ってくる』
というのは、恐いですね(((゜д゜;)))
そのボールが「希望」のボールならいいですが、
大概の人は心配ばかりしていますから、
すっかり「心配」しつくした後に、それが返ってくる!\(゜□゜)/
その結果、また心配する…
この悪循環を繰返しているんじゃないでしょうか??
その悪循環を避けるためにも、
「何があっても大丈夫!!」と、
アホか気違いかと思われるほど、
「現状肯定」をし続けなければいけませんヽ(*'0'*)ツ
周りは笑わせておけばいいんです(b^-゜)
そのベースが無ければ、
①を実践しても、あまり意味がないでしょうね(*゚ー゚)ゞ
そして、未来に向かって、
「希望」のボールを投げ続けましょう(*^o^*)/~
(「現状肯定」さえ出来れば、自然と上手に投げられるようになるでしょうけどね。)
ボールにも数に限りがあるでしょうから、
投げきってしまえば、すっかり忘れるでしょう(*^-^)b
だから、本当は何一つ、心配しなくて良かったんですよねヾ(@^▽^@)ノ