【私たちが中国に関して読んだり見たりしているのは、「お約束の範囲内」のことだけ】

天安門事件のときに日本に逃れてきた高名な中国人医師は、「なぜ、日本人は中国情報を疑わないのか」と言うのです。

日中記者交換協定によって、いかに日本のメディアが中国共産党にコントロールされてきたことか。

これは、その日中記者交換協定の概要です。


《日中記者交換協定について(Wiki)》

1968年(昭和43年)3月6日、「日中覚書貿易会談コミュニケ」(日本日中覚書貿易事務所代表・中国中日備忘録貿易弁事処代表の会談コミュニケ)が発表され、LT貿易に替わり覚書貿易が制度化された。

この会談は、同年2月8日から3月6日までの間、松村謙三が派遣した日本日中覚書貿易事務所代表の古井喜実、岡崎嘉平太、田川誠一と中国中日備忘録貿易弁事処代表の劉希文、王暁雲、孫平化により、北京で行われた。

政治三原則」とは次のような内容である。
すなわち、
日本政府は中国を敵視してはならない
米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない
中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない
の3点の遵守が取り決められた。

この政治三原則と政経不可分の原則に基づいて日中記者交換を維持しようとするもので、当時、日本新聞協会と中国新聞工作者協会との間で交渉が進められているにも関わらず、対中関係を改善しようとする政府・自民党によって頭ごしに決められたという側面がある

日本側は、記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束したものであり、当時、北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどや、今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された

以上の条文を厳守しない場合は中国に支社を置き記者を常駐させることを禁じられた



この協定は、「日本側は、記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束した」ことを日本に守らせるというものです。

とりもなおさず、自民党が日本のメディアを中国共産党のコントロール下に置くことを了承した協定です。

中国共産党の中国国民に対する残虐な行為は、ネットでしか知ることができません
天安門事件のとき、中国の若者が戦車の前に立ちはだかって進行を阻止した写真が世界中に出回りました。

中国の民主化を求める若者の勇気を象徴している写真だとして、多くの人々を感動させました。
しかし、別のサイトには、戦車のキャタピラによって、まるでスルメのようにペシャンコに押しつぶされた何十人もの中国の若者の遺体が道路上に無造作に散らばっている画像が見つかります。

そして、この車でペタンコに轢き回すという残酷な行為は、今でも行なわれているのです。

「日中記者交換協定」で画像検索してみてください。今まで、私たちの目に触れなかった記事がたくさん出てきます。
(一部、ショッキングな画像があるのでご注意ください)。

中国人の女性記者は、「一党独裁の中国共産党に対して、日本のメディアがなぜ特別扱いするのか理解に苦しむ」と言っているのです

進歩的で民主化を求めている中国メディア(大紀元などの西側に活動のネットワークを広げている中国メディアと思われる)にとって、中国共産党のプロパガンダに成り下がった日本のメディアこそが、中国の人々を間接的に苦しめていることになるのです。

2008年の北京オリンピックのとき、日本での聖火リレースタート地点が長野県善光寺境内に予定されていましたが、僧侶たちのチベット問題に対する静かな抗議の証として、境内の外にスタート地点を移すよう聖火リレー実行委員会に要請しました。

この要請を受けて境内の外に決まったと同時に、中国の若者たちが善光寺にスプレーやペンキで下品な落書きをしたのです。
また、日本人が中国人の聖火リレー応援団から暴行を受けて負傷する、という事件も起こりました。

こうした乱暴を働いたのは、ほとんどが中国人留学生でした。これが中国人の悲しい民度の低さです。
というのは、学生たちも日本にいながらにして中国公安に監視されているので、特に日本人に悪意は抱いていなくても、こうしたときは、反日を装わなければならないのです。

当時の首相、福田康夫は、「中国人が乱暴を働いても逮捕するな。日本人は逮捕していい」と警察に指示したのです。

聖火リレーのコース沿道で警備に当たっていた日本の警察官は、このとき悔し涙を流したのです。「なぜ犯罪を犯す中国人を逮捕することができずに、同じ日本人のほうを逮捕しなければならないのか」と

今日も日本の在中メディアは、北京や上海の支局を追い出されないかと、戦々恐々と記事を書いているのです。

この協定を破棄し、日本のマスメディアの中国報道の正常化を図らなければ、真の日中国交正常化などありえません

「貧すれば鈍する」がごとく、中国の経済成長が止まれば、再び、その怒りの矛先が日本に向くように中国共産党は人民を操作するでしょう。
中国共産党の愚民化政策は、大いに成果を上げているのです。

自民党は、なんという協定を結んでしまったのか。
後先考えないとは、このことです。


日中記者交換協定を取り決めた田川誠一と河野洋平はいとこだった。一部引用
http://blog.goo.ne.jp/nagatachoucafe7/e/4e6c5508445e8be33532db01a48c7fd7

戦後体制から脱却できずにいる原因の一つに「日中記者交換協定」があります。

「日中記者協定」は、日中国交回復したあと、名称を「日中記者交換協定」というものになりまたした。内容は、中国の国益にそぐわない報道を日本国内でしてはいけないというものです。

中国共産党政府と、この協定をかわすときに、立ちあったのが、衆議院議員だった田川誠一という人物。

田川誠一は、もと朝日新聞社員であり、河野洋平氏のいとこです


■マスコミ報道真実を河野洋平の親戚が封殺 その理由 より一部引用
http://portirland.blogspot.jp/2012/09/masukomi-houdou-sinjitu-kounoyouhei-tarou.html?m=1

2012/09/17

日本のマスコミが、中国報道で真実を避けている点について、中国人記者が言及しています。その協定の締結に、河野太郎の親戚が密接に関っています。

田川誠一は河野家との血縁関係に加えて、父親の河野洋平氏と政党の結党時から密接に関っています。


▲新聞の自由を北京に売り渡した田川誠一氏

※田川誠一 Wiki
元衆議院議員(11期)。元神奈川県会議員田川誠治の長男。元新自由クラブ代表(2代)、元進歩党代表。

1976年、河野洋平(田川の従弟)、山口敏夫らと共に自民党を離党し、新自由クラブの結成に参加。西岡武夫が路線対立で離党した後、その後任として幹事長に就任。

親族 父・田川誠治(神奈川県会議員)
従弟・河野洋平
甥・河野太郎